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芳匠 中式正律子 1977年作 14.7尺 総塗り研ぎ出し 綿握り

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紀州へら竿は、竿五郎の後を受けた師光と源竿師の二人を源として、二つの滔々とした系統が生じ、現在に至っている。 が、もう一つ、この流れとは別に、優れた感性と技量、さらに飽くことのない探求心を具えた独立独歩の天才、孤舟を始祖とする一群の人々も忘れてはならず、また実際、看過されることは決してないであろう。 ただ、師光・源竿師から発した竿師たちが、それぞれ固有の特徴を開花・結実させて千紫万紅たる様相を見せているのに比べると、孤舟に教えを受けた弟子たちは、総じて独自の特質は敢えて追及することなく、ひたすら師の竿作りの道を踏襲してきた感がある。 これを考慮すると、孤舟のもとに集まった一群の竿師を総称するには、「系統」よりも「一門」とするのが適当かもしれない。 今回ご紹介する「中式正律子 14.7尺 総塗り研ぎ出し 綿握り」は、その孤舟一門の一人、芳匠の作である。 孤舟の基本調子は、言わずと知れた「鶺鴒」で、これに硬式・中式・軟式を付加した形でより細かく竿の調子を表す。 一門に属する竿師たちもまた、おしなべて同じ調子名を採用しているが、芳匠は本竿において、この点にまず一つ独自性を出している。 また、その意匠(デザイン)も、総塗り・研ぎ出しで仕上げてあり、非常に装飾性の高い姿を見せている点も注目に値する。 一方、竿の基本要素たる機能性については、しっかりと孤舟の思想に準拠しており、蛇口の繊細な削り穂、綿糸握り、一目で孤舟一門の作と分かる石突きなどを具え、もちろん、極めてバランスのよい、竹竿であることを忘れるような振りの軽さと、竹竿ならではの釣り味とが実現されている。 しかし、遺憾なことに、釣り場でも、紀州へら竿を扱う店でも、芳匠を目にする機会は現在ほとんどない。 手元にその一本がある私は、幸運だと思う。

紀州へら竿の構成

紀州へら竿は継ぎ竿で、いくつかの部位を継いで釣りに用いる。 この部位の数は、三から五が標準的で、それぞれについて細い方から挙げると次のようになる。 三継ぎ:穂先、穂持、元 四継ぎ:穂先、穂持、元上、元 五継ぎ:穂先、穂持、三番、元上、元 これを見てお分かりの通り、「x継ぎ」のxは、継ぎ部の数ではなく、継がれる部位の数であるので、ご注意を。 さて、紀州へら竿は竹を素材としているが、一本の竹から一本の竿が作り出されるわけではない。 上に挙げた各部位それぞれに適した素材を選んで組み合わせ、全体として竿としての機能と調子を実現することが、竿師に課された大きな仕事となる。 これを「生地組み」「切り組み」などといい、この技量がないと、他の工程に如何に優れていても、さらにどれほど注力しようと、良い竿は決して生まれない。 それゆえ、竿師に要求される最も重要な能力の一つと言ってよいだろう。 実は、「一本の竹から一本の竿が作り出されるわけでない」だけでなく、使用される竹の種類も部位によって異なる。 この選択にもいくつかのバリエーションがあるのだが、先ずは基本となる構成を見ていこう。 第一に、穂先に使われるのは真竹、すなわち筍の成長した竹である。 穂先には二種類があり、一つは、この真竹を細く割り、その一本を削って成型した「削り穂」、もう一つは、細く割った真竹を二本から四本張り合わせた上で削り出す「合わせ穂」だ。 第二に穂持だが、これには高野竹(すず竹)が用いられる。 へら竿においては、この穂持の意味合いが非常に大きく、実際、穂持に高野竹を採用することで紀州へら竿の基盤が確立されたと言うことができるし、生地組みにおいても、竿師は穂持にする素材を選び、これを中心にどのような穂先、元などを合わせるか――と考えるそうである。 そして第三に、穂持より下の、三番、元上、元としては、矢竹が採用される。 名称からも想像されるように、これは矢の素材となる竹(学術的には笹に分類される)である。 以上が紀州へら竿の基本構成。 次いで、構成のバリエーションをご紹介するが、その前に、素材となる竹の特徴を簡単に述べておくことで、全体としての竿の調子をイメージしやすくなると思う。 素材の特徴を一言でいえば、高野竹は「粘り」、矢竹は「強さ」である。 基本構成では、穂持より下、元側には矢竹が用いられると書

竿春(先代) 本造り 14.3尺 口巻 籐握り

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御存じの通り、関東を拠点として製作に勤しんでいるのが竿春一門である。 しかし、竿作りは紀州において、源竿師の下で修業したので、紀州へら竿師の一人と見做して何ら異論は出まい。 山彦・魚集と並び、源竿師系統を長い間代表してきたこと、さらに、竿春という銘は、もともと源竿師の使用していたもので、それを師匠から受け継いだ事実もそれを裏付けている。 竿春の特徴としてよく挙げられるのは、入念に火入れされた、細身でありながら極めて狂いの出にくい穂先といえよう。 釣り人の嗜好に合わせて魚が次第に大型化された時代、従来の竹竿では対応し切れず、どうしても反りなどが生じがちであった。 そんな状況下、竹竿の伝統を活かしながら、時代の要求、課題を克服する道が模索された結果、解答の一つとして、穂先のみカーボン素材とする「冴」、穂先と穂持にカーボンを使用する合成竿の可能性が浮上したのだが、それを実際に採用するとなると二の足を踏む竿師が多かった。 その中で、この方向へ積極的に踏み出した筆頭が、竿春である。 さらに、天然の漆の代わりに、品質が均一で当たり外れのない化学素材、ウレタンの活用にも躊躇なく取り組むなど、竿春には先取革新の気質が満ちている。 その辺りのことは、「魂の火入れ―竿春、へら竿の革命児が伝統を更新する 」に詳しく紹介されているので、興味のある方は一読されるといいだろう。 さて、魚の大型化が顕著となった時期に、もう一つの解として竿春の提示したのが、先述の特徴を具えた、この「本造り」である。 スレ掛かりした魚が、水中深いところを手前に向かって突進し、いくら沖へ向かわせようとしても頑として従わないような場合、竹の穂先には大きな負担となるものだが、本竿では、仮にその状況に遭遇しても、魚を何とか玉網に収めた後、恐る恐る穂先を見ると、何事もなかったかの如く凛としているのが確認できる。 確かにこれなら、それなりの量目釣りにも問題なく使える――という安心感を覚える竿である。 ただ…… これはあくまで個人的好みの問題だが、正直なところ、釣り味という点になると、若干私の嗜好には合わないと言わざるを得ない。 別記事「 竿の調子 」にも書いたように、竹竿の特徴の一つに、掛かる力に応じて曲がりの支点とその度合いが連続的に変化することがあるが、その妙味が些か乏しいように感じるのだ。 この妙味と、狂いの出に

竿の調子

竿の調子は、言葉で表せるものではない――誠にその通りだと思う。 しかし、同じように「この美しさはとても言葉では表現できない」と言うにしても、それが優れた文筆家の口から出るのと、文章などとはトンと無縁、書くのは勿論ほとんど読みもしないような御仁が宣うのとでは、意味合いに雲泥の相違のあることも確かだ。 もし私が、「竹竿の調子というものは……」としたり顔で言ったとしたら、恐らく上の唐変木の一例と見做されてしまうに違いない。 さらにまた、できないからやらない――と逃げてしまったら(この態度にそれなりの価値のあることは認めるとしても)、物事は何も進まず、世界が広がることも深まることもなくなってしまう。 そこで、敢えて本稿では、冒頭に挙げた困難事、すなわち竿の調子について少々書いてみたいと思う。 そうは言っても、一本々々の竿にそれぞれ具わった固有の釣り味、風趣をとくとくと述べるつもりはなく、今後の便宜のためにも、竿の一般的な特性を、あくまで即物的に分類しておきたいだけだ。 例えこれだけでも、把握の仕方が適切ならば、竿のイメージは何となく浮かぶだろうし、少なくとも、まったくの印象違いは来さないはずである。 先ず、竿の特性としては、曲がりの度合い、すなわち硬さというものがある。 もちろん、小はタナゴから大は海のイシダイ・モロコなどまで、対象魚により竿の硬さには天と地ほどの差異があるわけだが、これを紀州へら竿に限定しても、なかなかバラエティに富んでいる。 この硬さを区分する名称としては、シンプルに軟式・中式・硬式を採るのが常道であろう。 また、必要に応じ、これらの間に属する硬さとして、中軟式および中硬式、さらに、例えば乗っ込みの大ベラを抜き上げるための超硬式、厳寒期の小べら釣りを愉しめるような極軟式を加えれば、へら竿の硬さについてはほぼ表現が足りると思う。 もう一つ、紀州へら竿を特徴付ける重要な要素として、曲がりの支点を忘れてはならない。 これは、竿の先端部、主に穂持を中心に撓むもの、竿の中心辺りに曲がりの支点を持つもの、そして竿全体が、感じとしては握りの上から大きく弧を描くようなものに分けることができ、それぞれ先調子・本調子・胴調子と呼ぶのがほぼ通例となっている。 また、竿の長さを10等分したとして、 (曲がりの支点から根元までの長さ):(同じく先端までの長さ) に基づき、

五郎 9.2尺 口巻 紅葉握り

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世の中には、櫓聲、至峰、影舟といった極めて高価な竿を何十本も所有するような、星に恵まれた人もいるらしい。 このブログも、先ず 櫓聲 と 至峰 を紹介したが、記事を御覧頂けばお分かりの通り、私は決してそんな境遇ではない。 櫓聲は他にも何本か持っており、それらについては追ってご紹介するつもりだけれど、コレクションの中心となるのは中堅竿師の作で、ごく安価な竿も少なからず保有・愛用している。 しかしながら、このような多様性もまた良いもので、高級竿一辺倒ではなかなか見えにくい、それぞれの階層――と括るよりも細かく、竿一本々々の特徴や味わいに気付くことも多い。 今回御目に掛けるのは、紀州へら竿の中では手頃な価格で入手可能な一竿、「五郎」。 一家に一本、五郎か豊魚――と言われるのは、単に価格的に手にしやすいだけではなく、作りが堅実で安心して使える上、竹竿の風趣も十分に味わえるためであろう。 特にこの竿は、五郎が得意とする、天然の紅葉をあしらい、透き漆を重ねた握りが、竿の趣を一層深めている。 明示されてはいないものの、元竿の節数および竹の肌合いからすると、恐らく総高野。 穂先は合わせ穂で、さすがに櫓聲、至峰のような繊細美妙さはないが、紀州地産高野竹のしっとりとした粘りで魚を上げる感触は何とも心地よい。 太めの穂先、細めの元とテーパーが小さく、竿全体がしっかりと撓んで仕事をしてくれるので、反りの生じる懸念もほとんどない。 竹竿入門用としては勿論、愛好家にとっても十分持つ価値がある竿と言えよう。

竹竿の手入れ・保管・メンテナンス

竹竿は手入れやメンテナンスが大変だ――などという言葉を時に耳にするが、決してそんなことはない。 別記事「 竹竿の使い方 」において、竹竿は魚を釣る道具なので、使い方に特別神経質になる必要はない――と書いたが、これは日常の手入れについても同様である。 以下、手入れに加え、保管およびメンテナンス(修理)の注意点を書いてみたい。 私は、釣りを終えて竿を収納する際、バラした状態でまず濡れタオルで汚れを落とし、すぐに今度は乾いたタオルでその水分を拭きとる。 この時注意すべきは、細い部位である穂先と穂持、特に穂先は、タオルを往復させることなく、必ず一方向に拭き抜くということ。 さらに、一回拭いてタオルを根元の方へ戻す際、それが抜け切っていず、先端に引っ掛かってしまうことが結構あるので、焦らず慌てず、慎重に行うことが大切だ。 特に、長寸切りの生地組みの、長い穂先などを拭くに当たっては、十分注意したいところである。 以上の拭きについては、汚れを落とし、水分を除く最低限に。 必要以上にごしごしと強く拭くのは、胴漆を早く飛ばす原因となるので避けたほうが良い。 その後、例えば標準的な四本継ぎの竿なら、穂先を元上の中へ、穂持を元の中へ収納し、口栓を嵌めて竿袋へ――となるわけだが、この時の口栓は軽めにしておくのが安全。 なぜなら、使った直後の竿は、負荷を受けたために各部位の玉口が緩んでいる場合があり、その状態で口栓を奥まで嵌め込んでしまうと、釣り場で含んだ水気と相俟って抜けなくなる危険があるからだ。 さて、帰宅してから、私は点検を兼ねて今一度竿を取り出す。 そして、反り・曲がりが出ていないか、口割れはないか確認した後、テーブルなどの上に並べて数時間そのままにしておく(床に直置きして、誤って踏んづけたりしないよう、くれぐれもご注意を)。 実は、この状態で竿を眺めているのが、私にとってはまた大きな愉しみでもあるのだ。 釣り場で水拭きした後、すぐに乾拭きにより水気はとってあるので、これで乾燥は十分果たされるはず。 あとは竿を収納して口栓を嵌め(この時はしっかりと嵌め込む)、竿袋に入れて保管。 これだけで日常の手入れは完了だ。 なお、竹竿を保護しようと、蜜蝋などを塗りたくなるかもしれないが、これはやめた方がよいと思う。 このようなものが付着していると、火入れや胴拭きといったメンテナンスを竿師

至峰 13.8尺 口巻 綿握り

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紀州へら竿の中で、櫓聲と双璧をなすのが至峰である。 櫓聲が竹露流を皮切りに、次々と新たな脇銘の作品を打ち出したのとは異なり、至峰は、ごく初期に「三昧」「磯千鳥」といった脇銘を使ったのと、二十周年、四十五周年といった経歴の区切りに、それらをひっそりと竿に刻したのを除き、あとはひたすら、「至峰」とだけ銘打った竿を作り続けた。 そして竿の意匠も、口巻に綿糸握りという極めてシンプルなものが基本で、変な色合いなど見せないごく淡白な漆の塗りと合わせ、一見何の変哲もない、ありふれた見栄えでありながら、その調子は釣り人を魅了して止まないのである。 私も、竹竿に興味を持ち始めて間もなくこの銘を知り、その高い評価を耳にするに及んで、いつかは至峰を手にしてみたいとは思っていたが、櫓聲以上にその実現には年月を要した。 櫓聲と並ぶ横綱格の竿師の作品なので、当然その価格(尺単価)も最高位にあり、容易に手が出なかったというのも理由の一つだが、食指を萎えさせるもう一つの要素として、「釣り人を魅了して止まない」と書いた、その調子があった。 ほぼ一般名詞として通用すると言ってもよい、「至峰調」と呼ばれるその調子は、先調子、つまり穂持に曲がりの中心を置き、主に竿の先端部で魚を上げるのを特徴としているが、私の好みは竿全体が大きく撓む胴調子であり、この相違がどうしても気になり、心に引っ掛かって仕方なかったのである。 実際、至峰の竿を見ると、穂先が細く、元は太めの、いわゆるテーパーの強いものがほとんどで、なるほどこれは先調子だな――と思わずにはいられない。 無論、単に先調子の竿が高く評価されるのであれば、竿師は皆そのような竿を作り、苦労はないわけで、他の竿とは違う至峰固有・独自の味わいがあるはずだということは理解できるのだけれど、ちょっと試しに――と軽い気持ちで購入できる価格ではないのだ。 そんな気持ちのまま歳月が過ぎて、ある時、やっと巡り合った一竿が、この「至峰 13.7尺 口巻 綿握り」である。 至峰にしては元径が細めで、しかも13.8尺で四継ぎという長寸切りの生地組み、さらに穂先・穂持の長さが元上・元とさほど違わない。 これなら、それなりに竿全体が撓ってくれるはず――少なくともガチガチの先調子ということはないだろう――と踏んで思い切って購入したが、幸い、その期待は裏切られなかった。 この竿の釣り

竹竿の使い方

竹竿と言っても、魚を釣る道具なので、使い方に特別神経質になる必要はなく、カーボンやグラスファイバー製の竿とほぼ同様に扱っても、大きな故障が起こることはまずない。 とはいえ、何分自然素材なので、若干の注意をした方が気分的に安心なことも確かである。 そこで、何につけ、ものを丁寧に扱う質である私が、どのように竹竿を使っているかをご紹介しようと思う。 基本となる留意点は、竿の一部に大きな負荷が掛からないようにする――ということ。 これを踏まえ、釣り場での時系列に従い見ていきたい。 まず、竿を継ぐときは、穂先に穂持を、次いで穂持ちに元上(あるいは三番)、さらに元(あるいは元上)というように、細い部位から順に継いでいく。 この際、竿全体を通じて、自然の竹と同じように芽の向きが交互になるようにすべき――いや、各部位の根元に印された銘が一直線に揃うように――といった考えもあるようだが、どちらも絶対的な必要条件ではないように思う。 そもそも、芽が飛んでいたり、それのない芽無し竹が使われている場合、また、節巻・総塗のため芽の向きが判別できない竿では、前者の基準は用をなさないし、後者をとるにしても、すべての部位に銘が刻まれているとは限らず、また、銘とともに生地組みの目印である刻線(ケガキ線)がある場合は、どちらを合わせるべきか、といった混乱も生じるだろう。 無論、これにこだわっても何ら害はないし、自分なりの基準を設けてそれにこだわるのが楽しみとなることがあるのも、また事実。 従って、こだわりたければそうすればよい――程度の留意事項、といったところか。 私はこれまで、意識したり、またはしなかったり、さまざまな継ぎ方で竹竿を使ってきたけれど、その違いによって機能性や釣り味に顕著な差を感じたことはない、とだけは言っておこう。 次に、浮子の位置を調節する際は、竿掛けに普通に竿を置いたまま道糸を引っ張るようなことはせず(御承知の通り、これをすると一番細く弱い穂先に大きな負荷がかかることになる)、竿を後ろに送るか、それが無理なら斜め後方や横へずらし、穂先に過度な力がかからないようにして行う。 餌を打つ時、穂先だけでコントロールしたくなるが、まずは竿全体を撓ませて仕掛けを手放し、着水の直前、上手く穂先で落とし込む。 少し訓練を要することだが、習得すると、これも竹竿を使う楽しみの一つとなる。 魚

櫓聲 竹露流 硬式 15.2尺 節巻 綿握り

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私が「櫓聲(ろせい)」という名に初めて出会ったのは、竹竿に興味を持ち始めてから半年ほど経った時だった。 オークション・サイトをつらつらと眺めている時、開始価格38万円で出品されている竿に気付いて一驚したのだ。 確か、それは「櫓聲 秘伝」の短竿。 価格とともに強烈な印象を受けたのは、俗に「火の玉」と呼ばれる、漆を塗り重ねて研ぎ出した握りで、黒・赤・緑の三色のけばけばしさに、正直、反射的に嫌悪を感じた。 当時、まだ竹竿に関する知識の浅かった私は、そんなこともあって、一体誰が、こんな竿をこんな値で買うのだろう――と思ったことを鮮明に覚えている。 しかしその後、竹竿の所有本数が増えるとともに、知識も蓄積されていくにつれ、櫓聲というのが紀州へら竿の中でも最高峰に位置付けられる銘で、「秘伝」は最晩年に作られた竿の脇銘であることを知るに至り、いつかはこの櫓聲を使ってみたいという思いが次第に強まっていった。 が、物事は上手くいかないもので、その後、色々なところで櫓聲を目にしたものの、「欲しい」と思う気持ちと反比例して収入が漸減していく状況となり、なかなか手にすることができなかった。 長年の念願が叶ったのは、初対面から6年経過した夏、この「櫓聲 竹露流 硬式 15.2尺 節巻 綿握り」によってである。 竿が届いて、胸の鼓動を抑えながら荷をほどくと、重厚な、野武士の如き面構えが目に飛び込んできた。 本来、私は細身の竿が好きなのだが、そんな好みからの些細なずれはすっかり忘れ、まったく気にならないほど、その存在感に圧倒された。 何よりも、一見荒削りの印象を与える、その穂先には強く魅了された。 そして、この竿を見て覚えた満足は、実際に使ってみて驚嘆へと変わった。 先ず驚いたのは、あすこへ餌を落としたい――という位置へ、ピンポイントで打ち込めること。 無論、それなりの技術は必要だけれど、かなり強い風が吹いている状況でも、これが楽にできるのである。 さらに、魚が掛かると、あちこち走り暴れることなく、掛かったその場でひらひらと真上に上がってくる感覚は、それまで経験したことのない、実に不思議なものだった。 一方、その軽快な取り込みが何となく物足りないと思うと、その気持ちが竿を通じて伝わったかのように、魚が適度に竿を撓らせてくれるのである。 この竹露流は、櫓聲の名声を盤石なものとした作品と言わ

紀州へら竿の歴史・系統

「へら鮒(別名:ゲンゴロウブナ)」という魚名が初めて文献に現れたのは、江戸時代、幕府の命によりまとめられた「紀伊続風土記」(1806年)や、紀州藩士であった畔田翠山(くろだすいざん、1792年-1859年)が編纂した日本最古の総合水産動物辞典「水族志」などにおいてである。 この頃、へら鮒はすでに釣りの対象として認められていたのだろうが、それを釣るための専用の竿というのはまだ存在せず、チヌ(黒鯛)釣りの竿が転用されることが多かったという。 へら鮒釣り専用の竿、へら竿を世に送り出したのは、このチヌ竿の製竿師として明治15(1882)年に仕事を始めた大阪の竿正で、当初、原型ともいえるへら竿は、黒竹を主な素材とし、穂先には、竿正自らの考案による、真竹を細く割り、それを削って成型する「削り穂」が採用された。 その後、二代目竿正および続く竿五郎が、穂持の素材として、紀伊山地に自生する節間が狭く強靭な高野竹(スズ竹)に注目し、真竹・高野竹・矢竹という三種の竹からなるへら竿の基本構成を確立。 こうして地盤の固まったへら竿の世界は、竿五郎に師事した師光(児島光男)と源竿師(山田岩義)によって一気に広められ、かつ深められることになる。 師光と源竿師は、へら竿の製竿技術を、上の高野竹の産地にほど近い、和歌山県橋本市へともたらした。 そして、この二人を源泉として二系統の水脈が流れ出し、やがて、それらに沿って数多の竿師たちが開花・結実して現在に至っているのである。 そのため、へら竿を語る際、師光系あるいは源竿師系などと言われることがあるが、もう一つ、独立独歩の天才、孤舟を源とする系統も忘れてはならない。 これら三つの系統や各竿師の特徴などについては、追ってご紹介するつもりである。 ここまで述べれば、へら竿が「紀州竹竿」「紀州和竿」などと呼ばれる理由は、もう御察し頂けたことと思う。 そう、師光と源竿師の周り、和歌山県橋本市を中心とした地域に、竿師たちが工房を構えて製作に取り組んだからである。

釣りの楽しみ・道具の味わい

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中国の古い格言に次のものがある。 一時間楽しみたければ酒を飲みなさい。 三日間楽しみたければ結婚しなさい。 八日間楽しみたければ豚を殺して食べなさい。 一生涯楽しみたければ釣りを覚えなさい。 また、別に次のようにも言われる。 一日楽しみたければ床屋に行きなさい。 一週楽しみたければ結婚しなさい。 一月楽しみたければ良い馬を買いなさい。 一年楽しみたければ新しい家を建てなさい。 一生楽しみたければ釣りを覚えなさい。 いずれを見ても、古来、釣りというものは奥深く、人に尽きぬ楽しみを与えてくれる趣味と見做されてきたことがわかる。 ところで、釣りと一口に言っても、その様態・種類は百花繚乱・千紫万紅。 まず、大きく海水域と淡水域の釣りに分かれるのをはじめとして、海水域では舟、磯、浜、一方の淡水域においては湖、沼、川、さらに川でも上流、中流、下流と流域による場所の区分があり、さらに対象魚が千差万別である上、同じ魚でも多種多様な釣り方の存在する場合もある。 色々な場所で様々な魚と戯れることに喜びを見出すこともできるし、ある魚を、特定の釣り方で狙って倦むことを知らぬ人もいる。 これらにそれぞれ特有の趣があるとすれば、釣りの奥深さ楽しみの広さも、なるほど――と頷かれる。 さて、その釣りには、道具が必要だ。 どんな趣味にも共通したことだと思うが、その趣味を楽しみ、突き詰めていくに従い、道具に対する愛着が増していくのは、よくあることだろう。 特に、その趣味が風流なものであればあるほど、その道具もまた情味に満ちていることが多い。 それゆえ、その道具の魅力にのめり込んで、いつの間にか趣味それ自体と同じくらい、いや、さらに進んで、趣味そのものよりも道具を玩味することが楽しみとなってしまう例も少なくないのである。 かく言う私が、その一例だ。 私の釣りは、へら鮒(ヘラブナ)という身近な魚が対象である。 この釣りには様々な道具が使われ、自然素材から手作りされるものも多い。 浮子(うき)、道具入れ、魚を取り込むための玉網とその柄、鈎への餌付けや魚信(アタリ)待ちの際に竿を置く竿掛け、その竿掛けを固定するための万力、そして竿。 私がこの釣りを始めた子供のころ、へら鮒釣り用の竿はグラスファイバー製が主流だった。 そして長らくの中断を挟み、成人した後に再開した時にはカーボンロッドが全盛で、躊躇なくそ

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