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鶴一花 11.1尺 金梨子地節巻 乾漆握り

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紀州へら竿には、何と読むのか判然としない銘がいくつかある。 これは私の浅学のためであるのは重々承知しているが、それを克服しようと色々調べてみても、斯界においてはなかなか情報を見出せないのもまた事実であろう。 白状すれば、これまでご紹介してきた竿の中にもそれに該当するものがある他、 芸舟 の脇銘の一つが「夢ノ花」なのか、それとも「夢一花」なのかもはっきりしない。 もっとも、これらについては、確かに自信を持って断言はできないにせよ、恐らくこう読むのだろう――くらいの当たりは付けられるのだが、それすら躊躇させられる銘もある。 「鶴一花」がそれである。 音訓を揃えて読めば「つるひとはな」もしくは「かくいっか」だが、いずれも響きが良いとは言い難く、重箱読みや湯桶読みをしても今一つしっくりこない。 この竿を目にした時、気になってすぐネット上であれこれ検索したのだけれど、先ず読み方に辿り着けず、さらに紀州へら竿の系統図にも記載がないため、誰の下修業したのか、弟子はいるのかといったことも分からなかった。 今般記事を起こすに当たり改めて調べてみても状況は同じだったが、現在でもこの銘の新竿を取り扱っているショップもあるようなので、比較的近年の竿師なのかもしれない。 斯くの如き素性のはっきりしないことに加え、もう一つ、握りが個人的にどうも好きになれない乾漆、しかも形状的にも竿尻に古めかしさの感じられる点がネガティブな意味で気になった。 が、少し躊躇いながらも結局購入を決意させたのは、金梨子地節巻の美しくも落ち着いた姿だった。 遺憾ながら画像はそれを表現できていないのだが、紫を含んだ黒地に金粉を鏤めた色合いが竹の肌と見事に調和しており、極端な話、これを目にできるだけでも手元に置く価値があると思った。 とは言え、実際は道具としてこれまでに何度か釣りに使用している。 その面での感想を述べると、いわゆる「肩肘張らずに使える竿」の部類に属する一竿だ。 幾分しっかりした合わせ穂を具え、現在の大型魚主流の池にも安心して臨める。 無論、これは単に穂先の強さだけではなく、他の部位と調和のとれた生地組みによるもので、魚の掛かった時に見せる、中式本調子と表現できる綺麗な孤もその証左だろう。 上に、手元に置いて眺めるだけでも十分――と書いたけれども、釣りをしている時には気になる握りは手の中に隠され、そし

山彦 特作むらさめ本調 13.2尺 飾り節巻 綿糸握り

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山彦を手にしたのは、竹竿に関心を持ってさほど経たない内のことだった。 既にご紹介した「 志らさぎ硬式 10尺 節巻 綿糸握り 」がそれであるが、当時、この竿師が先代源竿師の一番弟子にして紀州へら竿の世界における重鎮の一人であることは知らなかったように思う。 しかし不思議なことに、何となく「良い竿」「優れた竿師」という感じはあり、同竿がかなり古いものであることなどを考えるとかなり高値での購入だった。 その後次第にこの竿師についても色々知り、晩年の最高到達点とも言うべき脇銘「無心」とはいかずとも、より制作時代の新しい、握りに山彦のトレードマークともいえる竹張りを施した一本、長さももう少しあるものを保有したいという欲求が強まっていったのだが、同竿師の位置付けからしても当然熱烈な信奉者が多いためだろう、なかなか手の届く価格へは下りて来なかった。 こうしていくつもの邂逅を見逃しながら十年近くが経過した時、本来狙っていた竿ではないものの、価格的に手の出せる一本が漸く目の前に現れ、先行きその上の山彦を贖える見込みも少なかったことからこれを入手した。 それが当方の現在所有する今一つの山彦、「特作むらさめ本調 13.2尺 飾り節巻 綿糸握り」である。 「志らさぎ硬式」と比較して先ず目に付いたのは、穂先の太さである。 へらぶなの大型化傾向が明らかになるとすぐ、掛かった魚を胴に乗せて竿全体で寄せ上げる竿をいち早く世に問うたことは上の記事にも述べたが、この穂先の変容は大型化の昂進に対応するために違いない。 しかし斯くの如きわずかな調整により、その後はほとんど変化を来たすことなく時代の流れを悠々と乗り切ったことを改めて思い返すと、山彦が如何に先見の明を具えていたかが自ずと分かる。 その穂先には優れた技で火が入れられ、胴調子と相俟って大型へらの強烈な引きを受けてもほとんど癖の出ない点、透き漆を用いた「すかし巻き」の意匠など、山彦を語る上で外せない特質は、「特作むらさめ本調」も勿論具有している。 握りが竹張りでないのは少々残念でないこともないが、優美な形状はやはり山彦のもので、まったく滑らずしっくりと手に馴染む実用性という面に注目すれば、綿糸握り様々と言うべきかもしれない。 初めてこの竿に水を見せる際、穂先の視覚的印象から、幾分鈍さを懸念したのだけれど、これは最初に糸を引いただけで雲散霧

竹馬 珠玉 16.1尺 口巻 籐・漆握り

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先代源竿師の三番弟子として修業を重ねて独立し、紀州から離れた関東の地に根を下ろして自らも一門を形成したのは、改めて言うまでもなく先代の竿春である。 その門から長男の清が出て、竿春きよしとして地歩を固めた後、二代目竿春を襲名したことも竹竿を愛好される向きはよくご存じであろう。 さらに、先代竿春の実弟修もまた、兄の教えを仰いで斯道を歩んできた。 竹馬である。 紀州から千葉の柏市に移った竿春は、大阪にいた修を自分の許へ呼び寄せて高校へ通わせ、修の弟子入りはその卒業後のことだったそうだ。 私の手元にある竹馬は「珠玉 16.1尺 口巻 籐・漆握り」のみなので、この竿師の作品の一般的特質を云々することはできないのだが、同竿についての個別的実感を述べると、竿春の本造りに比べ大らかな釣趣を味わわせてくれるように思う。 もっともこれは、十六尺という竹竿としては長尺のため、竿の操作全般が自ずとゆったりしたものとなることが、少なからず影響しているのは間違いない。 しかしこれを差し引いても、竿春の入念に火入れされた穂先が醸し出す鋭い釣り味は後ろへ退き、鷹揚な風趣が前面に出ているのは確かである。 私の保有する十六尺以上の三本、竹虎(魚心観)、京楽そしてこの竹馬の中でも、前の二本と比較して竹馬はずっしりとした重みと同時に、硬さとは異なる強さを手に感じるのだ。 その意味からすると、そもそも真珠と玉、本来は小さいけれども貴重で価値あるものを称える珠玉という脇銘は、若干そぐわないような気がしないでもない。 この脇銘の作は、比較的近年(といってももう数十年前)のものと思うが、へらの大型化と魚の濃さが顕著になりつつある状況に対応すべく、竿全体を働かせる生地組み・作りを採った結果が、上の如き印象を現出しているのかもしれない。 竿春一門の他の竿師同様、竹馬もまた合成竿に積極的取り組んでおり、その経験が純正竹作品へフィードバックされているのであろう。 なお、竿のグレードで言うと、珠玉は基本となるもので、この上に冠珠玉・専心珠玉・別選および別選専心珠玉という階梯があるが、ここを昇るとどのように変化するのかも興味のあるところだ。 できればいつの日か、専心珠玉辺りを竿春の百煉などと併せ振ってみたいものである。

一集 ふうき 14尺 口巻 籐・研ぎ出し握り

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その銘から推察される通り、一集は魚集門下の一人である。 そして自らも力集という弟子を育てたことが、 紀州へら竿系統図 に示されている。 源竿師の流れを汲む、この魚集一門に属する竿師として同図に名を記されている峯集、夢集、楽集は、恐らくいずれも既に活動を終えており、その作品に出会うこともほとんどない。 魚集を師と仰いだ竿師の中では、その実子魚集英雄の名がもっとも知られていたと思うが、平成29(2017)年に耳順を少し過ぎたばかりでこの世を去った。 その下からは天集と紀誠集が巣立ったものの、現在も竿師として活動を続けているのは紀誠集一人である。 ――と改めて書くと、一竹竿愛好家にして寂しさを禁じ得ないのであるから、この名門に直接関わった人々の無念も自ずと思い遣られる。 私が「一集 ふうき 14尺 口巻 籐・研ぎ出し握り」に食指を動かされたのは、直接的にはこの名門から出た竿を振ってみたいという思いがあったためである。 当然、それなら本家の魚集を求めればよいのだけれど、ごく初期の古い作品はともかく、一家を成した後の「 一本造り 」「純一本造り」となるとさすがに高い値が付いて手が出ず、現代のへらぶな釣りを意識した英雄作も人気があって同様、そしてその頃はまだ紀誠集は世に出ておらず――といった状況で、なかなかこれという竿に巡り合うことができなかった。 そんな折、確かオークションで目にして、価格も手頃だったことから迷うこともなく入手したのが、一集だったのである。 魚集から受け継いだ特徴として、籐によるかぶら握りを具えてはいるものの、そこにあしらわれた漆の研ぎ出しは一集独自のものだろう。 正直なところ、その完成度はさほど高いとは言えないように思うが、どこかで目にしたことのあるようなその素朴な文様は、個人的には好もしい。 穂先はかなり細く、断言はできないが削り穂ではないかと思われ、もしそうなら魚集一門の作としては珍しく、また製作された時代も相当古いだろうことも窺わせる。 もう一つ目に付くこととして、実物を手にするまではわからなかったのだが、五継である本竿の三番には、穂持とともに高野竹が用いられている点があり、実はこの構成の竿にも個人的に関心があったので、思わぬ儲けものと喜んだことを覚えている。 さて、予てより関心を持っていた魚集一門の竿を振った印象はというと、実はこれが特に何も

初めて釣ったへらぶな

私が初めてへらぶなを釣ったのは、確か小学六年生の時のことと記憶している。 それまではクチボソやヤマベ(オイカワ)、小さなマブナなどを釣って喜んでいたのだが、もう少し本格的(?)な釣りをしたいという気持ちが徐々に胸に湧いてきて、これは周りの連中も同じだったらしく、ふと気付くと、子どものことゆえ本当に間に合わせではあるものの、ともかくへらぶな釣りの道具を各自が用意し始めていた。 そして、曲がりなりにも道具立てが整うと、すぐに釣行の日が決まり、エサを調達するため近所にあった馴染みの釣具店へ行ってその話をしたところ、店主が「よかったら皆で分けなさい」と、不要になった竿を三本提供してくれたので、これを景品にして釣り大会をやろうということになった。 時に季節は冬、当日は雨こそ降っていないものの鉛色の雲が空を閉ざし、しかも朝から強風が吹き荒ぶという生憎の天気だったが、何分自由のきかない身分なので当然中止などは考えずに釣り場――これもまた近所の釣り堀――へ自転車で乗り付けた。 そして寒さに悴む手で苦心して支度をし、いざ大会の開始である。 私の採った釣り方は、白玉ウドンを食わせにした「片ずらし」の底釣り、現在の段底のルーツともいうべきものだった。 が、現在に比べ魚の薄かった時代、しかも状況が状況なので、いくらエサを打っても浮子はバラケの有無に応じた目盛りを規則的に行ったり来たりするだけで、アタリはおろかサワリすらまったく出ないまま、午前が過ぎてしまった。 これは私に限らず総勢五人ほどの大会参加者のほとんどが同じで、流石に嫌気が差し自分の釣りは放っておいて交互にあちこちの釣り座へとこちらも浮子同様行ったり来たり。 そんな時、ただ一人、如何なる状況下でも、何事につけ泰然と取り組む――それのできない私は日頃から尊敬の念を抱いていた――マーちゃんの持つ竿が大きく曲がったのである。 当然、皆一斉にそこへ駆けつけ、魚を眺めるとともにどんなアタリだったか、掛かった瞬間の手応えはすごかったか――などと矢継ぎ早に質問したものだ。 こうなると他の者も俄然やる気を取り戻し、自分の釣り座へ戻って再び釣りに集中した。 しかしそんな気持ちは水の中へはなかなか伝わらず、依然として浮子は風に立つ波の間で往復運動をするだけだった。 そんな中、上のマーちゃんだけは間もなく二枚目を上げ、そこから時間を置いてさらに

伊集院 15.2尺 口巻 綿糸握り

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竹竿を購入する際、実物を直接目で見て、さらに継いで手に持ち振ってみれば、魚を掛けた時の風趣、いわゆる掛け調子以外はおおよそ感得できる。 しかし、オークションをはじめとする通信販売ではこれは望めないことで、しかもオークションの場合、大抵は返品不可とされているため、落札したのはいいが、いざ届いた竿にこんなはずでは……と落胆することも避けられない。 もっとも、その分価格的には抑えられる傾向にあり、思わぬ良い買い物のできる例もあるわけだ。 個人的なことを言えば、私も少なからぬ竹竿をオークションから入手してきたが、幸いなことにそのほとんどが「概ね満足できる」以上の結果だった。 そんな中、これは失敗したかな――と思った一本に、「伊集院 15.2尺 口巻 綿糸握り」がある。 もっとも、使用に支障を来たすような割れや酷い反り、視覚的に看過できない大きな傷があったわけではない。 これまでに何度か書いたように、私は元の細い、オチ(テーパー)の小さな竿が好みなのだけれど、この「伊集院 15.2尺」は元径の大きな、ぼってりした感じの一本だったのだ。 もちろん、入札に際しては画像をよく確認したのだが、穂先から元までばらした上での全体像がなく、特に元の太さが把握できなかったことから、出品者に「握り上部、銘の刻印された部分の径は何mmか」と尋ねたところ、「1.2cmほど」との回答があり、その大まかさや釣り竿に関する知識程度が想像されて不安を覚えたものの、当時伊集院は保有しておらず一つ欲しかった上、値が安かったの思い切って入札したら、競合なくそのまま落札となっ(てしまっ)たのである。 しかも、太いことに加えて中浚いを抑えた肉厚に仕上げられており、丈五という長尺も相俟ってかなり重い。 いやしかし、大切なのは継いだ時のバランス、それが先に抜けていれば――との微かな期待も、池に臨んだ結果、無残に散ってしまった。 実際、同等の長さの竿を使う場合のいつもの伝で竿掛けを選び万力を調整してこの伊集院を載せたところ、竿の重みで半分ほど水に浸かってしまい、慌てて万力の筒先を上に向け直さざるを得なかった。 無論、手に持ってもその重みは遺憾なく感じられ、これは到底一日振ることはできそうもない――と先が思いやられた。 ただ、私の釣りは実にのんびりゆったりしたものなので、そのリズムで使えば変なストレスを感じることは

雲影 秀水 11.1尺 口巻 竹・籐・漆・螺鈿握り

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……私の竹竿収集は、櫓聲をその中心・核とした上で、他の銘については、仮に浅くなってもできるだけ広くなるよう求めて来た……そんな中、例外的に雲影だけは、コレクション初期の段階で3本を購入した…… とは、先に「 雲影 竹有情高野竹 11.2尺 節巻 綿糸握り 」に記した文言である。 その後、もう一本の 雲影「光舟 9.3尺 緑節巻 綿糸握り」 もご紹介したので、今回は残る一つである「秀水 11.1尺 口巻 籐・漆・螺鈿握り」を取り上げたい。 購入の順序は竹有情・秀水そして光舟と、投稿のそれとは異なりこの秀水は二番目に当たる。 そして確か、竹有情を入手してさほど間を置かずのことだったように記憶している。 これは取りも直さず、竹有情の風趣に魅せられたからで、決してその銘に惹かれてのことではない。 実際、雲影なる竿師のことはほとんど知らなかったのだから。 さて、この秀水を実際に手にして眺め、振り、魚をかけてみて最も印象的な点は、その枯れた風趣、枯淡な味わいである。 油気の抜けた飄々たる佇まいを見せ、魚を力でねじ伏せるのではなく、時間はかかるものの悠然と相手をしながら最終的には意のままに操るその釣り味は、円熟・老練と称するに相応しく、これを振っていると、精選された古竹を用いた生地組みではないかの思いが自ずと胸に湧いてくる。 片や、竹有情はしっとりとした潤いと艶やかを具えており、光舟には若々しい活力と溌溂さが感じられ、同じ竿師の作でありながらこれほどの趣の差が出るところに、改めて自然素材から一本一本手作業で生み出される竹竿の面白さ、奥深さ――少なくともその一面はあると言えるだろう。 秀水のもう一つ目に付く特徴は、籐、螺鈿をあしらった漆に加え、さらに竹を配剤した握りだ。 これも既述したことだが、雲影はどちらかというと伝統的・オーソドックスな作りを基本としており、握りもほとんどが綿糸か籐、時折これらを併せたものが見られる程度である事実からすると、秀水のそれはかなり特異と思う。 竹の部分が凹んでいるその見た目通り、実際も手にぴったりフィットするわけでなく、人差し指と小指だけで握る感覚となるのだが、これが竿全体の調子と絶妙に相俟って、何とも言えない感触を腕から身体、さらに心へ伝えてくれる。 このような特質の一方、負担の掛かる玉口を二重巻きにしたり、その巻きの塗りもやや厚めに丁寧に