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夢月道人 12.1尺 節巻 綿糸握り

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夢月道人は、現在最も人気のある竿師の一人であろう。 先代師光―先代げてさく―先代夢坊―水玉―夢月道人と綿々たる系統を継いではいるが、無論、今はもう確固とした地位をこの世界に占めている。 これはちょうど、以前ご紹介した「朴石」と同様だ。 その夢月道人の近年作は、向月・花月・残月という調子分類を具え、この順に硬から軟へと移行するのはご存じの通り。 そして、巻きの漆が漆黒ではなく、紫がかった透き感のあるものを用いて、控えめながら至極美しい、粋な意匠を見せている点も、釣り人を魅了する大きな要因となっている。 さて、私が所有するのは、調子名も、つづみ・野武士・角・香露といった脇銘も見られぬ、かなり古い一本である。 手の込んだ装飾もなく、ごくごくシンプルな作りで、また、当時の釣りの状況を反映しているのであろう、見た目、振り調子とも非常になよやかな印象だ。 櫓聲などは、これと同じような感じでも、魚が掛かると豹変し、ぴしッと芯が通るような感触を覚えるが、この夢月道人は第一印象そのまま、魚とのやり取りもあくまで柔らかい。 今流行りの「引ける竿」ではない。 しかし、魚に一方的に、いいように遊ばれるようなことはなく、互いに引きつ引かれつすることを厭わず、ゆったりと余裕をもってやりとりすれば、この上なくふくよかな趣を味わわせてくれる。 遺憾ながら近年作は保有していないので、それとの比較を述べることはできないが、調子の基本はここにすでに胚胎されているのではなかろうか。 そこに、魚の大型化をはじめとする状況変化への対応をうまく果たしたことで、釣り人の信頼と評価がより一層高まったのだと思う。 夢月道人は(も)、紀州へら竿の系統、そこに名を連ねる先人の感性や技量の土壌から、才を種子、修を養分として見事に開花結実した竿師と言うべきだろう。

魚集 一本造り 15.11尺 口巻 籐・漆かぶら握り

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後の魚集、城純一氏は、山彦に続いて、昭和12(1937)年に源竿師に入門した。 同年の入門ではあるが、その時山彦は16歳、魚集の方は12歳であったこともあり、二番弟子に位置づけられる。 ことさらに山彦と比較するつもりはないけれども、先輩の山彦が4年で独立したのに対し、魚集は12年間の修業ののち、24歳にして漸く独り立ちを許された。 その際の銘は、本名にちなんだ「竿城」。 そして、さらに7年の時を重ね、31歳で「魚集」を名乗ることとなる。 そんな苦労人・魚集の作る竿の特徴は、一言でいえば、経歴に裏打ちされた質実剛健さにあると言えよう。 ここに挙げる「一本造り 15.11尺 口巻 籐・漆握り」もそうだが、中式本調子の見本のような中庸を基本とし、魚の引きに応じてしっかりと胴が働くてくれるため、変な気を張ることなく安心して振るができる。 手が先鋭な感覚を覚えることはないものの、使うほどに滋味が滲み出るその趣は、あたかも、心の籠った、手の込んだ郷土料理のようだ。 意匠面に目を向けると、この竿師の発案になる、籐を素材とした「かぶら巻き」が特筆されよう。 特に、晩年の作である「一本造り」「純一本造り」においては、部分的に漆を挿入し、装飾的な美しさと、滑りにくい実用性とを両立させている。 さらにまた、些細なことではあるが、竿に刻された銘の字体にも、大きな魅力がある。 先輩の山彦とともに紀州へら竿の世界を開拓してきた、この魚集も、今後出ることのない名匠の一人に数えて間違いあるまい。

竿和(櫓聲) 12.2尺 節巻 綿糸握り

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「 櫓聲―脇銘の変遷 」でご紹介したように、櫓聲作者・森本和延氏は、三ヵ月という異例の修行期間のみ、わずか17歳で師・大文字五郎から独立を許され、「竿和」銘にて竿作りを開始した。 その後、14年に亘る精進を重ね、櫓聲を名乗ることになるわけだが、私が初めて手にしたこの作者の竿は、竿和時代の一本、十二尺二寸の「節巻 綿糸握り」だった。 ほぼ50年間、釣り具店にデッドストックされていたもので、しっかりと保存されていたためだろう、これほど古い品ながら、竿本体はもちろん、竿袋なども含めて状態は申し分なかった。 その竿袋は、共袋ではあるものの、現在のように銘などが堂々と墨書きされてはおらず、油性ペンらしいものでごく控えめに銘と長さが記されているだけ。 これを見た時、「当時は、まだ問屋などの立場が絶対的で、竿師の自覚も弱く、己を主張することなどなかったのかもしれない。」などと思ったものだ。 さらに、貼られ残っていた四万円強の値札も、「これはいつ付されただろう、往時の相場においてこの価格はどのあたりに位置付けられるのだろう」と、時代性を感じて興味深かった。 さて、竿本体はどうかというと、先に述べたように新古品として入手したので、当然ながら使用による汚れや傷は全くない。 さらに、経年による漆の飛びなども見られず、至極艶やかな外観を呈していた。 しかしながら、十二尺の寸伸びで元径が12.2mmとやや太く、画像にも表れているように、穂持ちと穂先もまた太めの径を具えており、全体としてかなりズドンとした、お世辞にもスマートとはいえないプロポーションなのである。 それまでに、もう孤舟などの繊細優美な竿を目にしていたことから、これを見た時、正直、かなり食指が萎えた。 でもともかく、曲がりなりにもあの高名な櫓聲の手になる竿、今後また出会える保証もなかったので、些か不満を感じながらも、購入したのである。 ところが、釣り場へ出かけて、いざ水を見せると―― 振り調子については、さして特記すべきことはない。 外見同様、ややぼんやりした印象で、穂先先端の結糸部もリリアンのため、水切りの冴えもなかった。 ただ、仕掛けを放した際の勢いが、それまで使った竿とは違うという感触は覚えた。 そして、魚が掛かった時に、驚愕が訪れたのである。 私には、魚を竿で引っ張るという趣味はない。 したがって、場合によ

恵舟 別作高野竹 10.6尺 緑研出節巻 綿糸握り

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恵舟は、現在、紀州竹竿愛好家の間で最も高く評価されている竿師の一人と称してまず異論は出まい。 魚心観(先代)の下で竿作りを学ぶとともに、その銘から類推されるように、孤舟の門をも叩いて名匠の薫陶も受けた。 そんな恵舟の竿は多種多様、まさに千紫万紅の感がある。 基本的には、孤舟の教えを踏襲し、調子分類・握りの形状なども師に倣っている一方、へらぶなの大型化への対応や、意匠に富んだうずら研ぎ出し握りの採用など、時代や使用する者の要求を敏感に察知し、それに即した竿作りも積極的に行っており、「楽調純正鶺鴒」といった調子も、これを如実に物語っている。 私の所有する恵舟は二本、その内、ここにご紹介する「別作高野竹 10.6尺 緑研出節巻 綿糸握り」は、後者に属する典型的な一品といえよう。 この長さで三継ぎという、総高野長寸切りの生地組み、しかも元径8.6mmというかなりの細身である。 そこに孤舟一門にしては異質な、やや太めの削り穂を装い、魚が掛かると文字通り握りのすぐ先から大きく曲がる、これぞ軟式胴調子という一本に仕上げられている。 握りもまた、表材は一般的な綿糸だが、恵舟の中でも極めて珍しい形状。 さらに巻きは、緑の上に黒を重ね、下の緑を絶妙に研ぎ出すことで、幽邃な風情を醸し出している(遺憾ながら、画像ではそれが十分に出ていないけれども)。 無論、見た目の美しさだけではなく、実用性、釣り味も申し分ない。 先に軟式胴調子と書いたが、ゆったりした気分で竿をためていれば、魚は自然に浮き寄ってくる。 「別作」という位置付けで、恵舟が自らの個性を遺憾なく発揮した、実験的要素も備えた稀少品として、いつまでも手元に置いておきたいと思わずにはいられない一本である。 これほどの感性と技量を持ちながら、徒に尺単価を釣り上げることなく、地に足を付け堅実にこの道を歩んできたことも、恵舟の評価を高めた大きな一因に違いない。