魚集 一本造り 15.11尺 口巻 籐・漆かぶら握り

後の魚集、城純一氏は、山彦に続いて、昭和12(1937)年に源竿師に入門した。

同年の入門ではあるが、その時山彦は16歳、魚集の方は12歳であったこともあり、二番弟子に位置づけられる。

ことさらに山彦と比較するつもりはないけれども、先輩の山彦が4年で独立したのに対し、魚集は12年間の修業ののち、24歳にして漸く独り立ちを許された。

その際の銘は、本名にちなんだ「竿城」。

そして、さらに7年の時を重ね、31歳で「魚集」を名乗ることとなる。


そんな苦労人・魚集の作る竿の特徴は、一言でいえば、経歴に裏打ちされた質実剛健さにあると言えよう。

ここに挙げる「一本造り 15.11尺 口巻 籐・漆握り」もそうだが、中式本調子の見本のような中庸を基本とし、魚の引きに応じてしっかりと胴が働くてくれるため、変な気を張ることなく安心して振るができる。


手が先鋭な感覚を覚えることはないものの、使うほどに滋味が滲み出るその趣は、あたかも、心の籠った、手の込んだ郷土料理のようだ。


意匠面に目を向けると、この竿師の発案になる、籐を素材とした「かぶら巻き」が特筆されよう。

特に、晩年の作である「一本造り」「純一本造り」においては、部分的に漆を挿入し、装飾的な美しさと、滑りにくい実用性とを両立させている。


さらにまた、些細なことではあるが、竿に刻された銘の字体にも、大きな魅力がある。


先輩の山彦とともに紀州へら竿の世界を開拓してきた、この魚集も、今後出ることのない名匠の一人に数えて間違いあるまい。


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