投稿

3月, 2021の投稿を表示しています

雲影 竹有情高野竹 11.2尺 節巻 綿糸握り

イメージ
私が初めて手にした総高野の竿は、この「雲影 竹有情高野竹 11.2尺 節巻 綿糸握り」で、確か三本目の竹竿として購入したと記憶している。 以前の記事において、紀州へら竿には「舟」の字を持つ銘が多いと書いたが、今ふと、「雲」もまた目立つ漢字であることに気づいた。 試みにそれらを挙げてみると、八雲・瑞雲・青雲観・流れ雲・景雲、そして雲影がある。 雲影は貞石匠を師と仰いでこの道の修業を積み、同門にはすでにご紹介した忘我・五郎・魚光(豊魚?)がいる。 正直なところ、雲影については私もこれ以上の知識は持ち合わせておらず、一般にも、どちらかと言えば目立たない、地味な存在と見做されているのではなかろうか。 私の竹竿収集(というほど大袈裟なものではないけれど……)は、櫓聲をその中心・核とした上で、他の銘については、仮に浅くなってもできるだけ広くなるよう求めて来た。 その最大の理由は言うまでもなく金銭的制約であるが、それに加えて、当初は、色々な竿師の作を手にして実地に使用し、それぞれの特色を体感したいとの想いがあったのも事実である。 そんな中、例外的に雲影だけは、コレクション初期の段階で3本を購入した。 無論、それは雲影の味わいに魅了されたからで、「竹有情高野竹 11.2尺 節巻 綿糸握り」がその端緒となったわけだ。 と言っても、そもそもの初めは、特に雲影という銘を意識したわけではなく、単に漠然と「総高野の竿とは、どんなものなのだろう」との興味を抱いている時、偶然出くわしたに過ぎない。 それを実際に手にして対面した際、節の詰まった毅然とした風貌と、適度にシミの入った得も言われぬ趣きに強く心を惹かれた。 そして竿に水を見せ、振り調子・掛け調子を確かめた時には、「なるほどこれが総高野竹か」と、まるでこの生地組みの竿のすべてが一瞬のうちに体得されたように感じたことを覚えている。 先に「総高野(竹)・総矢竹の竿―特徴と味わい」に述べた内容は、この時の印象にほとんど立脚していると言っても過言ではない。 生地組みや意匠において、雲影には奇を衒ったところはほとんどなく、極めてオーソドックスな作りをなしている。 ただ、よく見ると、負担の掛かる玉口を二重巻きにしたり、巻きの塗りもやや厚めに丁寧に施すなど、細部へのこだわりがはっきりと窺える。 勿論調子も秀逸で、紀州へら竿の良さを知るに適した竿は

寿るす美 伊吹高野竹 白百合調 10.1尺 口巻 銘木握り

イメージ
紀州へら竿の中には、一見、その意味を測りかねる銘がある。 その例としては、先にご紹介した「げてさく」を挙げられると思うが、今回取り上げる「寿るす美(するすみ)」もまたそうであろう。 私はこの銘の謂れ・意味を直接知る機会がなかったため、少々調べてみたところ、これは大きく次の三つを含意する言葉だということがわかった。 1. 財産も係累もない身の上であること、また、その状態 2. 墨、またその色 3. 源頼朝が梶原景季に下賜した名馬の名(恐らく、その毛色が墨のように黒かったためであろう) では、寿るす美はこれらのどれに当たるのか、あるいはさらに他のところから来ているのかということだが、個人的には1.に因っているのではないかという気がする。 身一つ、己の技量だけを頼みとして世に出、過ごしていくべし――との思いが、ここに籠められている感を受けるのだ。 さて、その寿るす美の名を聞いて、私の頭に先ず浮かぶのは、「長寸切りの生地組み」という特徴である。 すなわち、穂先・穂持・元上・元などの各部位を長く取り、全体の長さの割に継ぎ数の少ない竿に、その本領を発揮する竿師という印象が強い。 私が実際に目にしたことのある作品としては、三継ぎの十三尺、四継ぎの十六尺がある。 これらの長さの竿なら、それぞれ四継ぎ(五継ぎも散見される)、五継ぎとして組むのが通例であることはご存じの通りだ。 長寸切りの意図は、天然の一本の竹に近づけることで、より自然、素直な調子を実現する点にあるのだと思うが、当然、このような生地組みに適した素材は断然少なくなるわけで、それを見極める眼力が要求されると同時に、世に送り出せる竿の本数も抑えられてしまうという枷を竿師は負うことになる。 私の所有する「伊吹高野竹 10.1尺 口巻 銘木握り」は、強いて長寸切りというほどではないものの、自然体で奇を衒ったところのない、寿るす美の特徴をしっかりと具えた一本であることは間違いない。 寿るす美の調子分類は、硬い方から順に、忍冬(すいかずら)調・静水調・白百合調・さわらび調と並べられるので、我が伊吹高野竹は軟式寄りに位置することになる。 それゆえ、今流行りの所謂「引ける竿」ではないけれども、この竿もまた、その本来の個性を尊重して扱ってやれば、この上ない釣趣を味わわせてくれる。 紀州へら竿で釣りを愉しむに必要なのは、ただこのこと