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源一人 煌 10.1尺 口巻 籐・漆握り

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この辺りで、私が初めて手にした紀州へら竿をご紹介したいと思う。 竹竿を使ってみたい――という思いは、子供の頃にへらぶな釣りをしていた時も、一旦、かなり長い間釣りから離れた後、再び再開してからも、ほぼ常に心にあった。 そして再開時においては、幸い、経済的に少し余裕があったため、その思いを実現してみよう――という気になった。 しかしながら、私は、取り敢えず何でも良いから一本――という性格ではなく、直ちに入念なる物色となったわけだが、そもそも竹竿に関する知識はほとんどなかったので、先ずはどのような竿があるのか、銘を調べることから始めた。 併せて、調子については自分の中にまだ基準がないので一先ず措き、見た目、すなわち意匠が好みに合うかどうか見ていった。 その観点を今思い返してみると、「竹の肌合いが残っている口巻がいい」「握りには少し華やかさが欲しい」といった、ごく他愛無いもので、吟味の結果候補に上がったのは、魚集英雄・光司・源一人だったように記憶している。 図らずも皆、紀州へら竿氏を父に持ち、ほぼ同年代、さらに後に知ったことだが、若手竿師のグループ「フォーカス」の精鋭であった。 この三者に絞った上、今一度検討を重ねて最終的に選んだのは、「源一人 煌 10.1尺 口巻 籐・漆握り」である。 画像をご覧頂けばお分かりのように、この竿は私の素朴な要求を満たしてくれている。 特に握りは、一目でこの竿師の作と分かるもので、脇銘の通り煌めく青が至極美しい。 かてて加えて、その銘にも魅せられた。 読みこそ「みなもとのかずんど」だが、その意味するところは「紀州へら竿の源流を継ぐ一人」であろう。 源一人は、実父が浮草、そして祖父は源竿師である。 しかし浮草は源竿師の娘婿、従って血の繋がりはなく、その血を受け継いでいるのは源一人であるというところから、この銘を採ったのだと思うが、それに際しては、外からの批判や軋轢、さらに自身の内にも葛藤や重圧があったに違いない。 にもかかわらず、敢えてこの銘としたところに、背水・不退転の心意気を感じたのである。 さて、この竿を通販で購入し、家に届いた荷を開梱して初めて目にした際の印象は、やはりカーボンに比べると全体に、特に穂先は太目だな――といったものだった。 私はどちらかというと、何事につけ繊細な感触を求める質なので、正直、些か失望したことを覚えてい

櫓聲 青春 15.5尺 節巻 籐握り

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「 櫓聲―脇銘の変遷 」でもご紹介したように、櫓聲は1979(昭和54)年、職人として脂の乗り切った46歳の時に、調子分類をそれまでの強流・清流と硬・中・軟式とを組み合わせる形から、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」へと一新した。 所謂「春夏秋冬」シリーズの誕生である。 そして、これらの名称がまた同時に脇銘を兼ねると共に、以後、新たに世に出される脇銘においても、一貫してこの調子分類が踏襲されることとなったのである。 老婆心ながら述べると、これらの語は、古代中国に確立された陰陽五行説に拠るもので、季節を色に喩えたことに加え、人の生涯の諸段階をも表している。 無論、厳密な年齢区分はできないが、大まかに、それぞれ青年期、壮年期、中年期、高年期に対応すると考えても大過はあるまい。 なお、玄冬については、生命に対する再生観から、幼少年期をも示す考えもあるらしい。 これを見れば、各調子は凡そイメージされるだろうが、櫓聲自身の説明(?)があるので、それをご紹介しておこう。 曰く、―― 青春=若々しく飛翔する様に似て、早春釣るに適す 朱夏=豪快かつ強烈にして、巨べらに挑むに適す 白秋=忙中に閑を楽しみて、独り静寂の中釣るに適す 玄冬=自ら漁を楽しまず、幽玄の中鮒を楽しむに適す さらに、それぞれの風趣を表現する漢字として、「翔」「烈」「閑」「幽」を採り、これらは調子に応じて竿袋に落款として印されている。 さて、この春夏秋冬については、私は現在、「青春 15.5尺 節巻 籐握り」を保有している。 けれども、「 竹露流 」「 秋江・上 」に出会ってからこれを手にするまでにはかなりの時を要した。 勿論、この脇銘の存在は知っており、強い羨望も覚えていたのだが、何のことはない、先立つものの都合が付かず手を出すことができなかったのである。 私が紀州へら竿に興味を持ち始めて時点において、櫓聲は既に廃業してしまっており、入手可能なのは必然的に中古品(未使用のものも時折あり)となるわけだが、この春夏秋冬シリーズになると人気がまた一段と上がるようで、値もそれに応じて高くなってしまう。 それでも適当な品が出ないかと気長に待っているうち、「これだ、」というものに幸い出会い、少々無理をして憧れの黄袋を纏った一本を購入したのである。 なお、竿袋については、当初、脇銘に合わせて青・朱・白・黒だったが

削り穂と合わせ穂

先に「 紀州へら竿の構成 」において、紀州へら竿の穂先に使われるのは真竹、すなわち筍の成長した竹であること、および、穂先には「削り穂」「合わせ穂」の二種類があることをご紹介した。 さらに、「 蛇口とリリアン 」では、穂先先端の結糸部の形状について、機能性と竿の風合いの観点から、それぞれの特徴を述べた。 ここで、へら竿の風合いへの影響という点から言えば、当然、蛇口・リリアンの違いより、削り穂・合わせ穂の相違の方が大きく寄与するわけだが、未だこれに関して書いていなかったので、遅れ馳せながら今回取り上げることにした。 さて、これも上の記事に記した通り、削り穂は、真竹を細く割り、その一本を削って成型したもので、合わせ穂の方は、細く割った真竹を二本から四本張り合わせた上で削り出されたものである。 大まかな喩えになるけれども、それぞれむく材と合板、または竹ひごと鉛筆をイメージして頂けばよいだろう。 実際、これらの特徴の相違が、削り穂と合わせ穂についても当てはまるのである。 まず、削り穂について、それを具えた竿の風合いとなると、素直・繊細・敏感・優美といった言葉が胸に浮かんでくる。 一方の合わせ穂に関して言えば、概ねそれらの対義語が当てはまると言ってよいだろう。 と、これはまるで、合わせ穂が悪役・悪玉の如き書き方となってしまったが、勿論削り穂より優れた点も具えている。 そう、削り穂の特性から当然想像される、弱い・反りやすい・癖がつきやすい――といった弱点を、合わせ穂の方はほぼ克服しているのだ。 魚の大型化した現代のへらぶな釣りでは、この合わせ穂の特質は大きな利点と言えるであろう。 因みに、削り穂と合わせ穂の見分け方については、穂先の根本、漆の塗られていない部分に合わせ目が見られれば当然後者になる。 しかし、素材によっては、天然の繊維があたかも合わせ目のように見えることがあり、どちらなのか判断が付かない場合は、穂先に一ヶ所か二ヵ所、「巻き」が施されて少し太くなっているか否かを確かめる。 これは素材の節部分を強化するための処置で、これがあれば削り穂と見做してよいだろう。 ここまでで、削り穂と合わせ穂、それら自体の特質はほぼ述べ得たように思う。 しかしながら、「穂先=へら竿」ではない。 穂持・元上・元など、他の部位と穂先が継がれ、一本となり竿として働くわけで、その全体の

忘我 別作一峰 14.2尺 口巻 竹張り握り

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前記事「 芸舟 川波 11.5尺 鶯節巻 綿糸握り 」において、芸舟の師は実兄の忘我で、さらに京楽は実弟であるとご紹介した。 因みに、京楽もまた、忘我に入門して紀州へら竿界へ足を踏み入れた。 こうなれば、二人の兄であり師でもある忘我を、当然取り上げぬわけにはいかないだろう。 忘我は、16歳の時に貞石匠の門を叩いて竿作りの道へ入り、1947(昭和22)年6年の修業を経て独立を果たしたが、その時の銘は竿信であった。 現在知られている忘我に改銘したのはそのずっとあと、1971(昭和46)年のことである。 忘我とは、無論、「熱中して我を忘れる」「心を奪われうっとりする」といった意味になるわけだが、私は個人的に、後者はまあいいとして、前者に対してはあまり良い印象を覚えない。 我を忘れる―というのが、自己の煩悩や不純な欲求、不安感などを消し去り、自然と混然一体となることなら何ら問題はないけれど、どうしても、自分の中のおぞましいものを辛うじて抑えていた「我」を忘れ、閉じ込められていた魑魅魍魎を遺憾なく活動させる―事態を連想してしまうのである。 これは遺憾ながら、実際に、釣り場で何度かそんな御仁に出くわしているためだと思う。 銘から受ける言語的印象はこれくらいにして、肝心の竿そのものについて述べよう。 忘我の手になる竹竿は、豊かな美意識に基づく美しい竿作りで知られる芸舟、繊細な感性が生み出す先鋭秀逸な調子で名高い京楽に比べると、若干個性に乏しいと感を否めない。 私の手元にある「別作一峰 14.2尺 口巻 竹張り握り」も、一見したところごく標準的なオチ(竿全体のプロポーション)を持ち、装飾も特に目に付かない一本である。 強いて言えば、竹張りの握りが控えめながら存在感を主張しているくらいだ。 しかし、派手さはないものの、意匠一つ一つの作りは丁寧になされており、目を凝らすとそれが浮き出てくる。 調子について言えば、こちらも顕著な特徴は目立たぬ、紀州へら竿としての中庸を守った中式本調子。 その堅実な生地組みは、釣り人を瞠目させるものではないかもしれないが、それだけに何ら懸念なく安心して使うことができる。 こう考えると、確かに忘我の境へと誘ってくれるよい相方であり、まさに銘に籠められた思いの具現した竿と言えよう。