櫓聲 青春 15.5尺 節巻 籐握り

櫓聲―脇銘の変遷」でもご紹介したように、櫓聲は1979(昭和54)年、職人として脂の乗り切った46歳の時に、調子分類をそれまでの強流・清流と硬・中・軟式とを組み合わせる形から、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」へと一新した。

所謂「春夏秋冬」シリーズの誕生である。

そして、これらの名称がまた同時に脇銘を兼ねると共に、以後、新たに世に出される脇銘においても、一貫してこの調子分類が踏襲されることとなったのである。


老婆心ながら述べると、これらの語は、古代中国に確立された陰陽五行説に拠るもので、季節を色に喩えたことに加え、人の生涯の諸段階をも表している。

無論、厳密な年齢区分はできないが、大まかに、それぞれ青年期、壮年期、中年期、高年期に対応すると考えても大過はあるまい。

なお、玄冬については、生命に対する再生観から、幼少年期をも示す考えもあるらしい。


これを見れば、各調子は凡そイメージされるだろうが、櫓聲自身の説明(?)があるので、それをご紹介しておこう。

曰く、――

青春=若々しく飛翔する様に似て、早春釣るに適す
朱夏=豪快かつ強烈にして、巨べらに挑むに適す
白秋=忙中に閑を楽しみて、独り静寂の中釣るに適す
玄冬=自ら漁を楽しまず、幽玄の中鮒を楽しむに適す

さらに、それぞれの風趣を表現する漢字として、「翔」「烈」「閑」「幽」を採り、これらは調子に応じて竿袋に落款として印されている。


さて、この春夏秋冬については、私は現在、「青春 15.5尺 節巻 籐握り」を保有している。



けれども、「竹露流」「秋江・上」に出会ってからこれを手にするまでにはかなりの時を要した。

勿論、この脇銘の存在は知っており、強い羨望も覚えていたのだが、何のことはない、先立つものの都合が付かず手を出すことができなかったのである。

私が紀州へら竿に興味を持ち始めて時点において、櫓聲は既に廃業してしまっており、入手可能なのは必然的に中古品(未使用のものも時折あり)となるわけだが、この春夏秋冬シリーズになると人気がまた一段と上がるようで、値もそれに応じて高くなってしまう。

それでも適当な品が出ないかと気長に待っているうち、「これだ、」というものに幸い出会い、少々無理をして憧れの黄袋を纏った一本を購入したのである。


なお、竿袋については、当初、脇銘に合わせて青・朱・白・黒だったが、煩雑過ぎるという理由で黄と白に絞られたという。

個人的にも、青と黒の竿袋は見たことがない。


また、以後の脇銘をも含めた櫓聲の作品全体として、この四つの脇銘(調子名)の竿が、いずれも同程度の本数出回っているわけでないことも念のため一言しておこう。

実際、感覚的ながら敢えて比率を挙げれば、青春5、白秋4、朱夏・玄冬合わせて1といったところではないかと思う。


さて、私の所有竿「青春 15.5尺 節巻 籐握り」については、一言、「従来の櫓聲の魅力を遍く具えた一本」とだけ述べれば事足りる。

振り込みにおける自在性、合わせ時の水切り感、そして魚が掛かった時の妙味、いずれにおいても然りだ。

強いて言葉を加える――というより、比喩を挙げるとすれば、それまでの竿自体、完成された水墨画なのだが、そこに仄かに、彩が添えられたとでも言えばよいだろうか。

それがどのような色合いかは、櫓聲の言葉に含まれている。

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