櫓聲 秋江・上 清流硬式 15.5尺 節巻 綿糸握り

竹露の製作を約二年間続けた後、1975(昭和50)年に、櫓聲は新たな脇銘「秋江」を世に送り出した。

しかしながら、竿の基本的な造りに大きな変化はなく、調子分類についても、竹露において打ち出された強流・清流+硬・中(・軟)式がそのまま踏襲されている。


どうも、この頃から、櫓聲の心には尺単価を上げていきたいという思いがはっきり芽生えてきたように思われる。

無論、これには、収入を増やしたいという即物的心理もなかったわけではないだろうが、それ以上に、孤舟もそうであった如く、自らの技量を適正に評価してもらいたいという欲求、さらに大きく、紀州へら竿全体の価値を広く知らしめたいとの希望があったはずだ。


「秋江・上」の登場も、これを示すちょっとした証左――と、言って言えないこともないかもしれない。

実際、この出来事もまた、1977(昭和52)年と「秋江」が出てからわずか二年しか経っておらず、竿としても秋江そのものといって差し支えないものであるにもかかわらず、名称に「上」を付した点に、それが垣間見られるように思うのだ。


ただ一点、意匠の工夫として挙げられるものがある。

それは、私の所有竿「秋江・上 清流硬式 15.5尺 節巻 綿糸握り」にも見られる握りだ。


竹露流、竹露および秋江における櫓聲の綿糸握りは、極めて細い糸をきっちりと緊密に巻き締めたものだったのに対し、秋江・上では、一見したところ綿糸とは思えない外観を具えている。

繊維感はほとんどなく、鉱物的な光沢が見られ、強いて言えば黒曜石のような風合いを覚える。

不勉強のためはっきりしたことは言えないが、綿糸の上に漆を塗り、さらにそれを研ぐことでこの質感が実現されているのではなかろうか。


機能面に関していうと、硬質な肌触りと掌へのフィット感が特徴で、十五尺を超える長竿であっても、何らストレスを感じることなく捌くことができる。

もちろん、これは単に握りだけに起因することではなく、竿全体としての構成の妙あってのものだけれど。


この握りは、一人櫓聲だけが採り、他の竿師の作においては出会ったことがない。

その理由は、何の変哲もないように見えながら、その実、極めて高度な技術を必要とするためかもしれない。

もしそうだとすると、従来の脇銘に敢えて「上」を加えたことも、宜なるかな――だ。

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