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一文字 12.2尺 口巻 籐握り

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「 紀州へら竿系統図を眺めて 」において、次のように述べた ……ところで、系統図を眺めてふと思うのは、竿師には、自らの技術をひたすら追求するタイプと、後継者の育成に重きを置くタイプがあるようだ――ということ。 前者の代表としては、いまさら言うまでもなく櫓聲・ 至峰 が挙げられ、一文字・ 影舟 もこれに当てはめられるであろう。 後者の筆頭は、紀州へら竿の源流である師光・源竿師であり、さらに先代「げてさく」などもこれに当たる。…… この最後の部分に、改めてもう一人、大文字五郎を付け加えたい。 大文字五郎の弟子と言えば、先ず、紀州へら竿界における最高峰であるところの、鬼才櫓聲の名が挙げられる。 もっとも、これも「 櫓聲―脇銘の変遷 」に既に書いた通り、櫓聲の場合、弟子入り後わずか三ヶ月の修業で独立を許されたというから、果たしてどれだけ師の影響を受けたかは疑問だが、その才能を見抜き、自らそれを磨くのが櫓聲にとって最善と判断してこの道を行くことを許したという事実だけでも、大文字五郎が名伯楽であった確固とした証左ではなかろうか。 そんな大文字五郎のもう一人の高弟が、一文字である。 一文字の場合も、至峰の教えを受けるよう師から勧められたというから、批判的観点をとれば、大文字五郎は自らの技量に対し十分な自負を持っていなかったと見られなくもないが、仮にそうだとしても、そのような極めて難しい自認を敢えてなし、弟子の将来を第一に考えるところは、賞賛に値するであろう。 そして実際、一文字が紀州へら竿界において到達した高みを考えるとき、上の評価が決して誤りでないことが首肯される思う。 教えを受けた至峰の影響もあってだろうか、一文字もまた、自らの作にほとんど脇銘を付しておらず、また、意匠についても徒に装飾に凝ったところはなく、口巻、あるいは段巻というへら竿の基本を踏襲したものがほとんどである。 ただ一点、改めてご紹介するまでもないだろうが、唯一無二の独特な握りの形状は、この竿師のトレードマークとして絶大な存在感を具えており、これに憧れる釣り人も少なくないはずだ。 かく言う私もその一人で、子供の頃、親の知人から貰った雑誌に掲載されていたそのカッコいい銘と作品を目にし、いつの日にかこんな竿で釣りをしてみたい――と漠然と思ったことを記憶している。 その後、釣りから長らく離れてしまったこともあ

竿三 特選琢磨 印籠継 三本仕舞 11.8尺 口巻 綿糸・籐握り

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「紀州へら竿」という名称からも推される通り、へらぶな釣りのための、竹を素材とした釣り竿は、主に和歌山県橋本市を中心とした地域で手作りされる。 この地がへら竿生産の拠点となった一つの理由として、穂持――すなわち釣り竿の先から二番目の部位――の素材となる高野竹を入手するのに調法であった点を挙げられるが、交通および流通の発達に伴い、この事情による束縛力は急速に弱まった。 その結果として生じた事象の一つが、竿作りの修業は伝統通り紀州の源竿師の下で積んだものの、自らの工房は関東に開いた 竿春 の出現である。 一方、関東にもまた、釣り竿製作については長い歴史――実際、紀州へら竿のそれを大きく上回る――があり、綿々とその技術を受け継いだ職人の手になる作品が江戸和竿と呼ばれるものであることをご存じの方も少なくないだろう。 こちらもやはり竹を基本素材とする釣り竿だが、対象魚はキス・ハゼからフナ(マブナ)・タナゴといった、東京湾およびそこへ注ぐ河川・湖沼に生育するものから、さらにはヤマベ・ヤマメなどの清流・渓流魚まで非常に多様、従って竿の長短強弱さらには特性も多岐に亘っている。 このような歴史の流れを背景に持つ土地、竿春というへら竿師が登場すれば、その波紋・影響が伝播するのは当然で、関東からもぽつりぽつりとへら竿が誕生し始めた。 今回ご紹介する私の保有竿「竿三 特選琢磨 印籠継 11.8尺 口巻 綿糸・籐握り」も、その一本である(と思う)。 ここに「と思う」と付して断言を避けたのは、ネット上を色々検索して回ったり、知人に尋ねたりはしてみたのだが、この竿の作者、竿三についてはっきりした情報を得ることができていないからだ。 しかしながら、それが慣例なのか好きなのか、関東の竿師は、ほとんどが自らの銘に「竿」の字を用いていること、およびこの竿三の作風が紀州へら竿とはやや趣を異にしている点などから考えて、まず関東へら竿と見て間違いはないだろうと判断している。 この竿の最大の特徴は、その脇銘(?)にも示されている通り、印籠継ぎに見るべきであろう。 印籠継ぎは、穂持と元上、および元上と元、それぞれの間に採用されており、穂先と穂持の継ぎをこの形とする意味はほとんどないことを考えれば、全ての継ぎ部が印籠となっているとも言えるのだ。 紀州へら竿の中にも、もちろん印籠継ぎは見られるわけだが、江戸和竿において