竿三 特選琢磨 印籠継 三本仕舞 11.8尺 口巻 綿糸・籐握り

「紀州へら竿」という名称からも推される通り、へらぶな釣りのための、竹を素材とした釣り竿は、主に和歌山県橋本市を中心とした地域で手作りされる。

この地がへら竿生産の拠点となった一つの理由として、穂持――すなわち釣り竿の先から二番目の部位――の素材となる高野竹を入手するのに調法であった点を挙げられるが、交通および流通の発達に伴い、この事情による束縛力は急速に弱まった。

その結果として生じた事象の一つが、竿作りの修業は伝統通り紀州の源竿師の下で積んだものの、自らの工房は関東に開いた竿春の出現である。


一方、関東にもまた、釣り竿製作については長い歴史――実際、紀州へら竿のそれを大きく上回る――があり、綿々とその技術を受け継いだ職人の手になる作品が江戸和竿と呼ばれるものであることをご存じの方も少なくないだろう。

こちらもやはり竹を基本素材とする釣り竿だが、対象魚はキス・ハゼからフナ(マブナ)・タナゴといった、東京湾およびそこへ注ぐ河川・湖沼に生育するものから、さらにはヤマベ・ヤマメなどの清流・渓流魚まで非常に多様、従って竿の長短強弱さらには特性も多岐に亘っている。


このような歴史の流れを背景に持つ土地、竿春というへら竿師が登場すれば、その波紋・影響が伝播するのは当然で、関東からもぽつりぽつりとへら竿が誕生し始めた。

今回ご紹介する私の保有竿「竿三 特選琢磨 印籠継 11.8尺 口巻 綿糸・籐握り」も、その一本である(と思う)。


ここに「と思う」と付して断言を避けたのは、ネット上を色々検索して回ったり、知人に尋ねたりはしてみたのだが、この竿の作者、竿三についてはっきりした情報を得ることができていないからだ。

しかしながら、それが慣例なのか好きなのか、関東の竿師は、ほとんどが自らの銘に「竿」の字を用いていること、およびこの竿三の作風が紀州へら竿とはやや趣を異にしている点などから考えて、まず関東へら竿と見て間違いはないだろうと判断している。


この竿の最大の特徴は、その脇銘(?)にも示されている通り、印籠継ぎに見るべきであろう。

印籠継ぎは、穂持と元上、および元上と元、それぞれの間に採用されており、穂先と穂持の継ぎをこの形とする意味はほとんどないことを考えれば、全ての継ぎ部が印籠となっているとも言えるのだ。

紀州へら竿の中にも、もちろん印籠継ぎは見られるわけだが、江戸和竿においてこの継ぎがごく一般的なことに比べると、極めて微々たるものに過ぎまい。

生憎、当方の所有竿の中で印籠継ぎのものはこの竿三しかなく、「印籠継の紀州竿」との比較はできないのだが、本竿の使用感・釣り味だけからも、その特質は充分に見て取れるように思う。



それを一言で表現するには、「滑らか」という修飾語が最適であろう。

印籠継ぎのため径の段差が生じないことに加え、素材の竹も中浚いを軽めに抑えた肉厚の状態に保たれている(これは三本仕舞にも現れている)ためか、あたかも自然のままの一本の竹を手にしている如き感触を覚えるのである。

仕掛けを振り込む時然り、そして魚の掛かった際も、引きに応じて竿は撓む訳だが、その程度(大きさ)の変動、支点の移動の流麗さ、滑らかさは、筆舌に尽くし難い。

無論、一般的な並継ぎの竿でも、ここに不自然さを感じさせるようなもののまず無いことは、私自身充分承知しているものの、本竿には、やはり一段優れた感触を明らかに覚えるのである。


もう一つ、外見について言うと、口巻きの部分には、元上の画像、継ぎ部の上に見られる(見難くて済みません……)のと同じ意匠が施されている。

これ自体は味わいあるものだと思うのだが、正直なところ、その仕上げに些かの粗さが感じられ、この点、紀州へら竿を見慣れた目には若干の遺憾を禁じ得ない。

もっともこれも、敢えて一点粗い所を残した、一種の「粋」と捉えるべきかもしれない。

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