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櫓聲―脇銘の変遷

紀州へら竿の最高峰に位置付けられる「櫓聲」については、これまでMyコレクションとして「 竹露流 」「 竹露 」「 秋江・上 」の三本をご紹介した。 他にも数本、同銘の所有竿があるので、それらも追って記事にするつもりだが、それに先立ち、ここで櫓聲の簡単な年譜を、脇銘の変遷を中心に書いておこうと思う。 些かなりとも、櫓聲に関心をお持ちの方のお役に立てば幸いである。 なお、脇銘の後の( )内に記した尺単価については、時期や小売店による相違もあり得るので、あくまでおおよその値とお考え頂きたい。 1933(昭和8)年 6月28日、紀州へら竿の本山、和歌山県橋本市に生まれる(本名:森本和延) 作者の自信作に刻されるとも言われる、握り上部の「和」字は、本名に因む 1949(昭和24)年、16歳 大文字五郎に入門 弟子入りはしたものの、わずか三ヶ月の修業で独立を許されたという 1950(昭和25)年、17歳 「竿和」銘にて、竿師としての歩みを開始 1964(昭和39)年、31歳 「櫓聲」に改名 脇銘なしで暫くを経た後、「なぎさ」「水紋」を製作 1970(昭和45)年、37歳 「竹露流」(7,000円)を発表 同じ時期に総高野竹竿「(旧)いさりうた」も製作(?) 1973(昭和48)年、40歳 「竹露」(10,000円)を発表 途中で、「強流」「清流」と「硬式」「中式」「軟式」を組み合わせる形の調子分類へ変更 1975(昭和50)年、42歳 「秋江」(15,000円)を発表 1977(昭和52)年、44歳 「秋江・上」(18,000円)を発表 1978(昭和53)年、45歳 特別作として、「秋江・黒地一刀蒔 いさりび」(25,000円)、「秋江・梨地一刀蒔 いさりび」(25,000円)を発表 1979(昭和54)年、46歳 調子分類を「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」へ一新 これらの名称がまた同時に脇銘を兼ねる――所謂「春夏秋冬」シリーズ(20,000円) 1982(昭和57)年、49歳 「五十七年特別作」(40,000円)を発表 この特別作の製作姿勢は正に鬼気迫るものだったと言われており、その後、体調を崩して三年間の休業を余儀なくされた 1985(昭和60)年、52歳 「破傘」(25,000円)を発表 1986(昭和61)年、53歳 「愛竿のめぐみ」(30,000円)を発表

孤舟(先代) 軟式純正鶺鴒 1966年作 13.2尺 節巻 綿糸握り

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これまでの記事において、何度「孤舟」の名を出したことだろう。 しかしながら、紀州へら竿という水脈の源としての位置は師光と源竿師に譲るとしても、竿作りにおいて、哲学ともいうべきものを持ち、それに基づくさまざまなコンセプトを発案、実践したのは孤舟であり、系統や門派を超えて数多の竿師に多大な影響を与えた事実を鑑みれば、何ら不思議はない。 孤舟が打ち出し、その生涯を通じて守り通したものとして、製作年の明記・調子分類・等級分けがあり、これらを明確に、かつ一貫して自らの作品に適用し、その一門は忠実にこれを踏襲した。 そして、他の竿師たちもまた、これらのあるものを適宜取り入れてきたのである。 孤舟の調子分類は、「鶺鴒(せきれい)」が中心に位置付けられ、これより幾分胴に乗る感じの「純正鶺鴒」と共にへら竿の基本調子をなし、これらの頭に、さらに竿の硬軟を示す硬式・中式・軟式が付される。 その他、鶺鴒の派生調たる吐月峰(とげっぽう)、より趣味性の強いものとして、小べら釣りを意識した軽妙な「小々波(さざなみ)」、その反対に大物にも耐え得る、骨太な「川蝉(かわせみ)」などがある。 等級について言えば、高い順に非売、秘別選、飛ぬけ、ぬけ、準ぬけ、無刻(明記なし)に分けられているが、面白いのは、メンテナンスに出された際、これが変動する例のあることだ。 よい使い手に育まれて竿が成長した結果、その等級が上がったり、反対に粗雑な扱いを受けて衰微を来たすと、それが落とされたりするというのである。 竹竿は生き物――と真摯に考えていた孤舟らしいエピソードと言えよう。 今回ご紹介する、我がささやかなコレクション中の一本、「軟式純正鶺鴒 1966年作 13.2尺 節巻 綿糸握り」も、そんな孤舟の哲学・コンセプトの結晶といえる作品だ。 「飛ぬけ」「ぬけ」などのない無刻竿なので、等級としてはもっとも下位に位置するわけだが、なかなかどうして、それでもこの竿師の特徴である、振っての先抜け感、掛けての清澄感は申し分なく具えている。 軟らかめで、元から美しい曲がりを見せてくれる調子も、私にとってはこの上なく好ましい。 そしてさらに、実は私と同い年なのである。 些細なことではあるが、この事実もまた、竿に対する愛着を一層高めてくれている。 こんなことも、製作年がはっきり示されていればこそだ。

蛇口とリリアン

釣り竿の穂先先端、仕掛けを結節する部分の形状として、蛇口とリリアンがある。 まず、老婆心ながら、蛇口の読み方について注意すると、「じゃぐち」ではない。 では、「へびぐち」なのか、それとも「へびくち」が正しいのか――これについて少々調べてみたけれど、明確な解は得られなかった。 ただ、現在の実情は、「へびぐち」の読みが主流といってよいだろう。 言うまでもなく、蛇口とは、ナイロン素材などを輪にしたもの、一方のリリアンは、リリアン紐に結び目(こぶ)を作ったもので、紀州へら竿も、この二種のいずれかを穂先に備えている。 これらへの仕掛けの取り付け方については、釣りの手引書を参照頂くことにして、ここではそれらの特徴についてご紹介したい。 まず、仕掛けの着脱のしやすさに代表される機能性に関して言えば、これはもう、リリアンの方が圧倒的に優れている。 それにもかかわらず、蛇口穂先の竿も少なくないのは、合わせなどで竿を上げる際のキレ、いわゆる水切りの感触に、得も言われぬ心地よさがあるからだ。 ただし、竿がこの感触を醸すためには、水に浸かる穂先全体が細く、繊細な張りとしなやかさを具えていなければならない。 その必要条件として、必然的に削り穂であることが要求される。 太い合わせ穂などに蛇口をつけても、感触への寄与はほとんどなく、仕掛け装着の利便性が徒に失われるだけである。 さて、蛇口穂先の竿の代表としては、最高級品に位置付けられる 櫓聲 ・ 至峰 を筆頭に、影舟・一文字などが挙げられよう。 唯一、尺単価三万円を超えるような竿で、かつ削り穂にもかかわらず、一貫してリリアンを採用している竿師が、山彦だ。 魚の大型化を見据えて竹竿の現代化をいち早く目指し、胴で魚を寄せる竿を実現すべく、穂先の径を上げたことも、その理由の一つかもしれない。 しかし、より大きな因をなしたのは、師である源竿師の竿作りに忠実たらんとする精神だったように思う。 浅学のため、その歴史のごく初期、どちらが採用されていたかは知らないが、現在のへら竿の直接の源泉としての源竿師・師光は、どちらもリリアンを用いた。 以後、源竿師系統の竿は、総じてリリアン穂先である。 片や師光系統を見ると、こちらは蛇口、リリアンさまざまで、同一の竿師でも時代や脇銘などで使い分けている例も見られる。 ただ、先に述べた、繊細な高級竿に蛇口を具えたもの

若駒 最上作 12.1尺 白節巻 籐握り

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文学や音楽の作品には、精神を集中して取り組んでこそその真味を理解できるものと、気軽に接するだけでその味わいを感じられるものがある。 このことは、紀州へら竿についても言えるように思う。 別の記事で挙げた 五郎 は、後者を代表する竹竿であるが、今回ご紹介する若駒もまた、その代名詞の一つと見做して間違いあるまい。 若駒の売りは、先ず何より、尺単価4千円程度という、極めて手頃な価格であろう。 カーボンロッドと同程度、むしろより安価に手にできるわけだが、安かろう・悪かろうでは決してなく、作りは丁寧・堅実で、それは若駒の第二の代名詞ともいうべき白漆の扱いにも、如実に看取できる。 ムラの生じやすいこの漆を施すにあたり、若駒は敢えて白さを抑制し、竹の地色に寄せるとともに、巻きの端は黒漆で縁どることで、非常になめらかで自然、それでいて印象的な意匠を実現している。 この「最上作 12.1尺 口巻 籐握り」は、そんな若駒の特徴を遍く具えた一竿。 しっかりめの合わせ穂のため、繊細な釣り味には些か欠けるものの、中式本調子という竹竿の中庸、その、手にやさしい風合いは十分に愉しめる。 個人的に、櫓聲や至峰、影舟などを使うには、それなりの気力の充実を要し、場合によっては重荷に感じることがある。 そんな時は本竿の出番、これが手元にあることで、今まで気持ち的にどれだけ救われたかわからない。 ところで、我々末端の消費者が目にする値より、若駒から問屋へ卸す価格はさらにずっと低くなるはず。 それで暮らしを立てるには、かなりの本数を製作し、売らねばならぬわけで、現在の竹竿をめぐる状況からすると相当の苦労があるに違いない。 そんなことを考えても、ぜひ、多くの人に若駒の良さを知り、そして使って頂きたいと願って止まない。

量を求めて失うもの

私は、いわゆる量目釣りにはまったく関心がない。 数量、総重量は勿論、型、すなわち一匹の魚の大きさについてもそれは同じである。 こんなことを書くと、「どうせ、釣れないから、僻み・妬みでそんなことを言うのだろう、」と揶揄されるかもしれない。 それを否定するつもりも、反論する意思もないが…… 確かに、物事には、「勝つ」ということが楽しみの源――というものもある。 仮に、それが楽しみの唯一の因ではないにしろ、たとえばスポーツなどはその性格が強いと言えるであろう。 釣りにもまた、人と競って上に立つ、あるいは自分の中で、設定した基準を超えたり、過去の釣果を凌駕したりといったことに、喜びのあることも間違いない。 しかし、それ以外にも、光や風に包まれ、水に臨み、浮子の動きを通じて魚の気配を捉え、そして振るにせよ、掛けるにしろ、竿の風合を感じることにも、大きな愉しみがあり、釣りにおいてはこちらの要素の方がより強いように思う。 上の二つが両立できれば、それに越したことはないかもしれないが、実際にはなかなか難しい――どころか、ほとんど不可能事ではないだろうか。 少なくも、私にはできない。 量を求めると、当然、魚をできるだけ集め、能うかぎり速やかに釣り上げようとする。 そのためには、せっせと餌打ちを繰り返し、脇目もふらず浮子を睨み、魚信を待つ間に次の餌を準備し、掛かった魚はさっさと寄せて取り込む……と、何とも悲しい忙しさに追いまくられることになる。 そんな状況では、周りの自然の風趣を味わう余裕などあるわけはなく、しかも私の一番の目的である、竿の感触を味わうという愉しみがすっかり奪われてしまうのだ。 今日は例会、あるいはそのための釣技の練磨・鍛錬、明日は釣りの風情をのんびりと――といったように、釣行の目的をはっきりと分けて楽しむ人もいるのかもしれないけれど、「競う」ことが少しでも頭にあると、知らず知らずのうちに心もそちらへ引っ張られるのが、人の常であろう。 これらを鑑みるに、結果ではなくその過程、すなわち釣りそのものを味わおうとすると、特に竹竿を使ってそれを志向する場合、「量」を求めることで失われるものが大きすぎる気がする。 今も続いているのかどうか知らないが、以前、紀州へら竿をより広く知り、使ってもらおうという意図の下、「HERA1グランプリ」なる、何とも痛い名称(笑)のへらぶな釣

櫓聲 秋江・上 清流硬式 15.5尺 節巻 綿糸握り

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竹露 の製作を約二年間続けた後、1975(昭和50)年に、櫓聲は新たな脇銘「秋江」を世に送り出した。 しかしながら、竿の基本的な造りに大きな変化はなく、調子分類についても、竹露において打ち出された強流・清流+硬・中(・軟)式がそのまま踏襲されている。 どうも、この頃から、櫓聲の心には尺単価を上げていきたいという思いがはっきり芽生えてきたように思われる。 無論、これには、収入を増やしたいという即物的心理もなかったわけではないだろうが、それ以上に、孤舟もそうであった如く、自らの技量を適正に評価してもらいたいという欲求、さらに大きく、紀州へら竿全体の価値を広く知らしめたいとの希望があったはずだ。 「秋江・上」の登場も、これを示すちょっとした証左――と、言って言えないこともないかもしれない。 実際、この出来事もまた、1977(昭和52)年と「秋江」が出てからわずか二年しか経っておらず、竿としても秋江そのものといって差し支えないものであるにもかかわらず、名称に「上」を付した点に、それが垣間見られるように思うのだ。 ただ一点、意匠の工夫として挙げられるものがある。 それは、私の所有竿「秋江・上 清流硬式 15.5尺 節巻 綿糸握り」にも見られる握りだ。 竹露流、竹露および秋江における櫓聲の綿糸握りは、極めて細い糸をきっちりと緊密に巻き締めたものだったのに対し、秋江・上では、一見したところ綿糸とは思えない外観を具えている。 繊維感はほとんどなく、鉱物的な光沢が見られ、強いて言えば黒曜石のような風合いを覚える。 不勉強のためはっきりしたことは言えないが、綿糸の上に漆を塗り、さらにそれを研ぐことでこの質感が実現されているのではなかろうか。 機能面に関していうと、硬質な肌触りと掌へのフィット感が特徴で、十五尺を超える長竿であっても、何らストレスを感じることなく捌くことができる。 もちろん、これは単に握りだけに起因することではなく、竿全体としての構成の妙あってのものだけれど。 この握りは、一人櫓聲だけが採り、他の竿師の作においては出会ったことがない。 その理由は、何の変哲もないように見えながら、その実、極めて高度な技術を必要とするためかもしれない。 もしそうだとすると、従来の脇銘に敢えて「上」を加えたことも、宜なるかな――だ。