櫓聲 特極竿のめぐみ 白秋 15.1尺 節巻 籐握り

これも「櫓聲―脇銘の変遷」に既述したこととなるが、三年の休業(休養)期間の後に発表された櫓聲の復帰作「破傘(やぶれがさ)」の製作期間は一年ほどに過ぎず、1986(昭和61)年にはまた新たに「愛竿のめぐみ」を世に問うた。

そして以後、「極竿のめぐみ」「特極竿のめぐみ」「特上極竿のめぐみ」と、いわゆる「竿のめぐみ」シリーズが続くことになるわけだが、これらはちょうどバブル景気の時期に当たり、そんな世間の浮かれ調子に販売店、問屋、さらに竿師自身も便乗しようとしたのかどうか、ともかく尺単価の急激な上昇を来たすこととなったのである。

世間に、竿のめぐみ以降の櫓聲を否定的に見る向きのあるのは、これに対する心理的反発が影響していることは間違いないだろう。

ただ、そのような見解があるとはいえ、櫓聲の人気が高いことに変わりはなく、それらの竿が中古市場に出回る場合、元の価格を反映して高額になりがちである。


ここで少々個人的なことを言うと、竹竿に関心を抱き、特に櫓聲に惹かれ出した頃、遺憾ながら境遇が左前となってしまった。

それでも何本かはどうにか手にすることができたものの、最晩年の「秘伝」は固より、「竿のめぐみ」シリーズも私には高嶺の花で、恐らく我が物とすることはあるまい――と考えていた。

しかし、「白秋」という調子に触れてみたいとの思いは消えることなく、心の中に熾火のように燃え続け、ある時、状態の申し分ない一本が、破格ともいえる値で出ているのを目にし、その燻っていた焔が一気に燃え盛って後先も考えずに購入してしまった。

「特極竿のめぐみ 白秋 15.1尺 節巻 籐握り」がそれである。



竿のめぐみシリーズにおいては、籐巻の間に漆を挟んだ握りが新機軸として採用され、これを具えた竿の人気が高いようで、かく言う私自身そうなのだけれど、この一本はシンプルな籐巻のみの握りということもあって価格が低く設定されたのだろう。

しかし、握りの意匠にそれほど強いこだわりはなく、あくまで櫓聲円熟期の、しかも白秋調子の振り味・釣り味を体感したいというのが最大の希望だった私には、却って好都合だった。



実物を手にしてまず感じたのは、穂先の細さである。

竹露流の粗削りとも見える強靭な穂先は無論のこと、内なる強靭さは保持しながら数段の洗練を加えたような春夏秋冬の青春破傘に比べても一回り細く、優美さの勝った穂先との印象を受けた。

もっともこれは、上に挙げた二つがいずれも、白秋より一段強い青春調子の竿であることも関係しているのかもしれない。


しかしながら、既に櫓聲を実釣に使用してその実力のほどは経験済みなので、頼りなさや不安はまったく覚えず、きっとこの「特極竿のめぐみ 白秋」もまた、あの自在な振り調子と、絶妙な掛け調子を見せてくれるだろうことを信じて疑わなかった。

そして実際、この期待は裏切られることはなかったのである。

最も興味のあった調子について言うと、櫓聲最大の特性ともいえる、魚が暴れることなく、竿に従い素直に上がり寄ってくる感覚はそのまま、青春に比べるとそのテンポがわずかにゆったりとし、よりしっとりとした風合を醸す印象がある。

これには、白秋という言葉の喚起するイメージが少なからず作用しているのかもしれないが、竿の調子というのはそれらを含めてのものであろうから、敢えて感じたことをそのまま記しておきたい。


ところで、最近中古市場を眺めていて思うのだが、紀州へら竿の俊峰たる作品を目にする機会が大きく減っているようだ。

特に櫓聲についてはそれが顕著で、ごく稀に姿を見かけた場合、以前に比べて驚くほどの高値で売買が成立している。

私は新たに竹竿を購入しなくなって久しく、今後もないかもしれないが、この状況を見ると、自分はいい時期に櫓聲を入手した(できた)ものだ――という感慨を覚えずにはいられない。

コメント

このブログの人気の投稿

紀州へら竿系統図を眺めて

竹竿の手入れ・保管・メンテナンス

櫓聲―脇銘の変遷