紀州路 総高野 12尺 柿色研ぎ出し口巻 籐握り
世の中にはこれに酷く執着する御仁も少なくないようだが、珍しさや希少価値を重んじる気持ちは私にはほとんどない。
無論、竹竿に関しても然りである。
しかし、先立つものを要する後者はともあれ、一風変わった造りや意匠を纏った竿に惹かれることは、決して多くはないものの、時にはある。
「紀州路 総高野 12尺 柿色研ぎ出し口巻 籐握り」は、これにより食指を動かされて入手した一本だ。
「紀州へら竿系統図」には、紀州路という銘は現れていないが、そこに見られる水連の別銘らしい。
私の所有する紀州路の変わっている点は、上に明示したように、穂先および口巻の塗りに朱漆を用いているところだ。
しかも、画像にはほとんど写せておらず申し訳ないのだけれど、朱の鮮やかさを幾分抑えた落ち着いた柿色とし、さらに黒い染みのような斑紋を所々に研ぎ出してある。
この意匠により、周囲に対しては嫌味のない絶妙な主張をしながら、光の加減ではこれを振る者にだけはッとするような艶やかさを見せてくれる。
紀州路には白漆の竿も散見されることを鑑みるに、変わり塗りに自らの個性を慎ましく発揮した感を覚える。
そういえば、弟子の心道にも朱塗りの作品が散見され、図らずも私の手元にあるこの師弟の竿は、いずれも朱口巻である。
同竿は脇銘の示す通り総高野の生地組み、しかも魚の小さかった古い時代の竿でありながら、その調子は思いの外しっかりしている。
基本的に穂先と穂持で魚をあしらい、強い相手に遭遇すると必要に応じて張りのある元上が機能し始め、元竿はこれらの土台として位置付けられている印象で、同門では深山に、より視野を広げると二代目師光に通ずる趣が感じられる。
もっとも、その細く削られた穂先は、小べらのひらひらとした動きや中型魚の首を振る感触を如実に伝えてくれる繊細さも併せ具えている。
身に装った色合いからしても、晩秋、枯葉の舞い散る中、静かに向き合いたい竿と言えよう。
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