八雲 高野竹 13.2尺 金梨子地節巻 竹張・籐握り

漆芸の技法の一つに、梨地=梨子地(なしじ)がある。

これすなわち、漆を塗った上に金粉や銀粉を蒔き、さらに重ねて透き漆を施した後、金粉や銀粉が露出しない程合いに研摩してそれを浮き出させる技法である。

ご想像頂けると思うが、その呼び名は仕上がりが果物の梨の肌のように見えることに由来している。

この梨子地は蒔絵の一種として行われることもあり、巻き・塗り・握りといったところに漆の用いられる紀州へら竿においても、さまざまな竿師がこれを施した作品をものしている。


その中で、八雲はこの技法を好み、かつそれに優れた一人ではないかと思う。

私の手元にある八雲は「高野竹 13.2尺 金梨子地節巻 竹張・籐握り」の一本のみだが、この脇銘(と言えるかどうかは微妙……)が示す通り、やはり口巻と穂先全体が梨子地で仕上げられている。


さらに握りは竹張りと藤巻を組み合わせ、よく見ると、その藤巻には梨子地と同じ色合いの透き漆をあしらってあることがわかる。

こう書くと些かあくどい意匠とも取られかねないが、実際は漆の落ち着いた色に金粉が適度な煌めきを添え、気品と格調を上げこそすれ、貶めてはいない。



この見事な意匠に加えて特筆すべきは、極めて細く削り出された穂先で、正しく「研ぎ澄まされた」という言葉が相応しい。

これが7つの節を具えた細身の穂持に繋がり、さらに元上・元もオチの小さい生地で組まれている。


この風姿を目にした時、恐らく誰もが思うであろうように、私の頭にも「軟式胴調子」という言葉が自ずと浮かんだ。

が、第一印象が本質を突くことの多いことは間違いない一方、時としてそれが人を欺くこともあるように、「八雲 高野竹 13.2尺 金梨子地節巻 竹張・籐握り」はその一例で、確かに穂先は柔軟自在に撓み、孤舟の理想とした道糸の延長たる働きを見せるものの、穂持以下は見た目とは裏腹に硬くかっちりした性格が強く、魚の引きに追従する様子はないのである。


しかし勿論、ただ硬く依怙地な訳ではなく、繊細な穂先の捕らえた動きを穂持が受け止め、さらに下へ伝えるに際して、自らの力に余るような負荷を覚えた場合はそれを流麗に元上へ引き渡し、元上と元もこの関係で連動している印象を強く覚える。

そして全体として、「中式本調子」というへら竿の中庸を現出しているのだ。


昭和7年に生まれ、14歳でげて作に入門した八雲は、至峰や櫓聲などと同世代の先達だが、どちらかと言えば地味な竿師かもしれない。

が、その技量および精神は、自身の作品に如実に具現されているとともに、世志彦、紀舟、凡舟といった弟子を通じて現在まで脈々と流れ続けている。

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