宝竹(至連) 極特作 三本仕舞 15.1尺 総塗り 漆握り

至連は、先代師光から直接教えを受けた最後の竿師の一人ではないかと思う。

1949(昭和24)年に生まれ、この世界へは1964(昭和39)年に実父(?)竿芳の門下として足を踏み出したが、後に師光の薫陶も得ることとなったという。

しかし、現在の紀州へら竿系統図には師光直下に位置付けられていることからすると、竿作りの修業は主にこの始祖の一人の下で積んだのだろう。


私の保有する、至連の手になる竿には「宝竹」と銘されているが、これは特定の問屋へ下ろす場合に付されたものらしい。


この「宝竹(至連) 極特作 三本仕舞 15.1尺 総塗り 漆握り」を入手したのは、竹竿に興味をもって間もなくのことで、その意匠と構成――より具体的に言うと、総塗りと三本仕舞という点に強く惹かれてである。

まだ、竿の評価や相場などに対する理解は乏しかったので、本竿についてもどのような釣り味を見せてくれるものか、それと価格との均整は取れているのかという判断はつかなかったものの、ともかく上の二点に後押しされ、引っ張られて、それなりの高価格で購入した。


画像でもおわかりの通り、全身に黒を纏い、節の部分は研ぎ出すとともに金色を上手くあしらったその姿は、実に精悍でかつ美しい。

ただ、継いで振ってみると、三本仕舞が示す通り、中浚いを抑えて肉厚に仕上げられているだけあって、手にずしりとした重量感を覚える。

初めて水を見せる際には、果たしてこれを一日振り続けることができるだろうか――という懸念を禁じ得なかった。



さて、その機会が来て支度を済ませ、エサ打ちを開始してみると、家で振った時同様、やはり持ち重り感は否めず、風切り刀を標榜する孤舟の如き颯爽とした振り調子ではない。

素早い手返しでテンポよく(たくさん)釣る――という目的には、正直まったくそぐわないと言わざるを得ない。


方や掛け調子に関してまず標語的に言うと、三番のしっかり働く中式本調子といったところ。

そして、魚の繊細な動きや引きの変化を細大漏らさず手に伝える、魚を意のままに捌く、といった性格とは異なり、もっと鷹揚な、見方によってはおっとりした表情を見せる。

全く別の領域のもの、オーディオ装置に敢えて喩えれば、音源に刻まれた信号の正確無比な再現や独自の色付けを目指すのではなく、その音楽の本質、もっとも重要な核をまとまりとして聴かせることを意図した機種に相当すると言えそうだ。

これを理解した上で振れば、「宝竹(至連) 極特作 三本仕」の具える調子は決して悪いものではなく、個人的にはその独特な味わいを十分堪能させてもらっている。


上の懸念について言えば、まったくの杞憂には終わらず、終日振り続けることはできたものの、腕にそれなりの負担はかかった。

ただ、それは心身の適度な緊張と運動のあとに生じる、心地よい疲労感だった。


現在のへらぶな釣りの趨勢からすれば、この一本が傍流に位置付けられるのは避けられまいと思うけれども、至連が紀州へら竿の世界で50年以上の長きに亘って活躍し、現在重鎮の一人と目されている事実を鑑みれば、単にこの種の竿にとどまらず、様々な釣り人の千差万別の要求を満たす数多の作品を自在に生み出してきたことは間違いない。

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