竹虎(魚心観) 甲子 16.1尺 口巻 漆握り

浅学のためはっきりしたことを書くことができず、誠に恥ずかしくかつ申し訳ないのだが、今回ご紹介する竹虎は確か魚心観(二代目)の別名だったと思う。



さらに、竿本体及び竿袋に記された脇銘らしい甲子についても定かでなく、加えて判読できない五つほどの文字も見える。


釣り竿に限らず、およそ実用品の製作に従事する者の志向は、大きく二つに分けられよう。

あくまでも道具としての本質的部分、機能性や利便性をひたすら追求する向きがある一方、その品に実用性以上のものを求め、見た目の美しさや趣きを添えるべく、さまざまな技法に積極的に取り組む行き方もまた存在する。

この視座から紀州へら竿を眺めた場合、飾り気の少ない、質実な作風を特徴とする魚心観は、上の第一の性格が強い竿師と言ってまず間違いないだろう。

これは敢えて意図してそれを目指したというより、魚心観の人としての質朴な性格、篤実な人柄が竿として結実たとの印象が強い。


そんな魚心観の手になるものとしては、この「竹虎 16.1尺 口巻 漆握り」はやや意匠に凝った一本と言えよう。

それは握りに見られ、魚心観の好む、実用性に優れた綿糸や乾漆ではなく、全体を漆で仕上げた上、さらに草葉を、その風合を残しながら押し嵌めているのである。

この極めて珍しい細工は、単に目を愉しませるだけではなく、手にしっかり馴染んでこの上なく滑りにくい。

すなわち、釣り竿としての用途に実によく合致しているのだ。

実際、絶妙な生地組みと相俟って、長尺ながらまったくストレスを感じることなく振ることができる。

ただ、漆で完全に覆っている訳ではないので、使っているうちにその草葉が次第に剥がれて来ている。

装飾という観点からすればこれは褒められるべきことではないだろうけれど、徐々に古寂びてくるその様子は、使うものに万物流転の摂理を看取させ、自然と幽邃なる観照へと導いてくれるように思う。


魚心観は、技術上の指導を仰ぎに来た同業の竿師に対して、懇切な教示を与えるだけにとどまらず、自分の使用している道具まで譲渡してしまう場合もあるとの話を聞いたことがある。

このように紀州へら竿界全体のことを慮る人物は、なかなかいるものではない。

その広い度量から生まれた竿ならではの味わいと言えよう。

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