中古竹竿について

市場に出回っている紀州へら竿には、新竿(新作竿)のほかに中古のものもある。

これは別段、取り立てて言うことではなく、ほとんどすべての商品がそうであろうが、竹竿について注目すべきことは、実用品でありながら、寧ろ中古の方が主流といえる点であろう。

実際、紀州へら竿取扱店の陳列棚やウェブサイトなどを見ても、そこに置かれているのは圧倒的に中古竿が多い。

このような状況に臨んでの態度は、人により分かれるところだろう。

簡単に言えば、中古竿を良しとするか、それを否定的に見るかである。


そのどちらに与するかと問われれば、私は躊躇なく前者だと答える。

私が初めて手にしたのは、「源一人 煌 10.1尺 口巻 籐・漆握り」の新竿だったが、それを購入した際、価格の一割に当たる商品(割引)券を受け取った。

そこで、せっかくなのでそれを使おうと適当な商品の物色を始めたのだけれど、すぐ続けてもう一本新品の竹竿を買う気にはならず、かといってカーボンロッドは既に一通りの長さのものが揃っているし――と逡巡していたところ、中古竹竿が目に付いた。

実は、私はかなり物を丁寧に扱う質で、そのためもあって、一度人手に渡ってどのように使われてきたのかわからないものなど、従来はまったく選択肢に入れなかった。

しかし、その時は丁度商品券だけで決済できる良さそうな竿があり、他に食指の動く品も見当たらなかったことから、ものは試しと購入に踏み切ったのである。

その実物を手にしての印象は、無論、小さな傷などは散見されたものの、製作されてからかなりの歳月を経ているにも関わらずさほど古びた感じもなく、次いで実釣に使用したところ、新竿・煌の溌溂とした釣り味とはまた異なる、古趣を帯びた風情を覚えて、「これはこれでなかなか良いな、」と思った。

その後、これら二本の竹竿を使っていくうち、紀州へら竿の歴史を逆に辿る形で広くさまざまな作品を手にしてみたい――という自分の嗜好が明確化し、加えてそれなりの長さのものを中心に持ちたいとの考えも強まった。

これは今世紀初頭のことで、言うまでもなく、その時既に、かつて一世を風靡した名竿師のほとんどは既に仕事を終えてしまっていた。

さらに、「竹竿の価格」でもご紹介した通り、新竿は長さに比例して値が上がるのに反し、竹の長竿の敬遠される近年の風潮から、中古竿に関しては却って長尺の方が安価に手に入るという実情もあって、自然、それ以降の私の目は主に中古竿に向くことになったのである。


このような態度とは逆に、中古竿に対する否定的な見方もある。

例えば、どのような扱いを受けてきたのか分からない中古竿では、その竿本来の機能・風合が損なわれている可能性もあり、不幸にもそんな竿を手にしてしまうと、竹竿の魅力を知ることができない。

そんな事態に遭遇したら、「竹竿とはこんなものか、」と紀州へら竿から離れてしまうであろう。

また、竹竿には本来、使うことによりそれを育てるという愉しみもあるのに、これが味わえない。

さらに、中古竿が数多出回ると、新竿の売れ行きが圧迫され、現役竿師の生計が一層圧迫され、延いては斯界の衰退が加速していまうとの懸念もあるだろう。


私はこのような考え方に異を唱えるつもりはなく、意に適った新竿に出会い、それを手にできるのであればそれに越したことはなく、敢えて中古竿を選択するには及ばないことは勿論である。

しかしながら、中古竿を使うのは邪道――と決めつけるのは少々短絡的だと思う。


中古竿の品質について言えば、稀に粗悪品を掴む危険性も否定できないが、さほど神経質になる必要はないと思う。

然るべき店での購入は言わずもがな、オークションなどを通じての売買でも、下手なものを売れば当然返品・返金を求められたり、評判・評価に傷が付くことになるわけで、無暗に出品できるものではなかろうから。

実際、私の数十回の中古竹竿購入経験においても、「これは失敗だった(かな?)」というものはほんの一二に過ぎない。

竹竿を使ってみたいが、価格を考えるとちょっと――という人が、そのような中古良品を手にしてその良さを実感すれば、新竿へ移行することは十分に考えられる。

それにそもそも、竹竿愛用者が多いとは言えず、これを商うことの困難さを鑑みれば、中古竿を一掃してしまっては一層の事態の悪化が想定され、新竿を世に出そうにも、その受け入れ先すら乏しくなるわけで、却って自らの首を締める結果となろう。。


竿師の中にも、中古で入手した竿のメンテナンスには応じない――という御仁がおいでのようだが、これを、「手塩に掛けた製品を市場に出すのは、あたかも娘を嫁にやるようなもの、」との言に準えれば、「出戻りの娘など知ったことか、」の如き物言いになるわけで、些か度量の狭さを感じてしまう。

たとえ中古で入手した竿であったも、それを大切に思う釣り人はいるのだから、然るべき対価を要求した上で、火入れや胴拭きなどを提供して欲しいものだ。

それが双方の益となるのは間違いないだろう。


ともあれ、一つ確かなのは、これだけ多くの中古竿が出回っているのは、取りも直さず、竹竿が実用品として長い生命を具えていることの何よりの証左ということだ。

コメント

  1. 答と終わりのない お道具遊び なんでしょうね!
    竿師さん 釣具屋さん 釣り人さん 皆んなが幸せでいられるのが良いですね。

    返信削除
    返信
    1. 三者それぞれ、格式と融通とを上手く平衡させながら持ちつ持たれつ――そんな関係を築けたらと、本当に思います。

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

紀州へら竿系統図を眺めて

竹竿の手入れ・保管・メンテナンス

櫓聲―脇銘の変遷