京楽 志野 16.2尺 節巻 綿糸握り

竹竿は反りが出て当たり前――紀州へら竿の基本構成が確立された後も、多くの釣り人はこう考えていた。

いや、あまりにも当然なこととして、意識すらしなかったかもしれない。

その、「反る」ということが人々の頭に顕在化し、竹竿の欠点として大きくクローズアップされるようになったのは、新素材、すなわちグラスファイバー、カーボンファイバーが開発され、釣り竿に採用されてからであろう。

人の気持ちというのは不思議なもので、こうなるともう、竿に反りが生じた場合、「あの竿師の作だから、たとえ反っても釣りには問題ない、」といった納得の仕方はできなくなり、「癖の出ない竿、出にくい竿はないものか、」という観点で探し求めるようになる。


そんな時に注目された竿師の一人が、京楽だ。

京楽はそれまで、ほとんど人目を引くことはなかった。

その理由として、京楽の手になる竿は、一見弱々しく、継いで振った感触もまた、見た目そのままという点が大きかったように思う。

ところが、「その柳のようなしなやかさは、反りの出難さに繋がるのではないか、」と考えた人がいたかいないかはまず措くとして、ともかく手に取られるようになり、いざ実際に使われると、当初の要求が満たされただけではなく、それ以上に、釣り味の秀逸さが認識され、一気にその評価が高まり、評判が広まったのである。


京楽の竿は、よく、「櫓聲を髣髴させる、」と称される。

見ても、振ってもなよなよと弱々しいが、魚が掛かると表情が一変し、力を入れて引かなくとも、竿がごく自然に魚を上げ寄せてくれるのだ。

これすなわち、竹がその奥底に秘めた力を見極める眼力と、それを生地組みにより遺憾なく活かし現す感性とに基づくに違いない。

そんな京楽は、「いずれ櫓聲・至峰と肩を並べる俊峰となるだろう、」と、紀州へら竿界の竿師たちに遍く思わしめた。


しかし、冷酷な運命は、そんな京楽に災いの鞭を降り下す。

1983年、職人としてまさに脂の乗った、まさに不惑の年台に、脳梗塞に罹ってその後遺症により左半身の自由が利かなくなってしまったのである。

「その身体で、数多の工程を必要とする竿作りは不可能、京楽はもう終わりだ、」と誰もが考えた。

が、京楽の竿作りに対する情熱は、この過酷な枷にも消し去られることなく、失われた身体の機能を補助する道具を自ら考案・作製し、それらを利用することにより、再び作品を世に出し始めたのである。


まさしく、不死鳥の如く蘇った――と表現したいところだが、現実はそう甘くない。

実際、病に倒れる前の作と比べると、細かな部分の仕上がりなどに粗さの見られるのは否めず、また、研ぎ澄まされた如き細い穂先は、ややぼってりとした風貌に変わってしまった。

けれども、京楽の特徴たる癖の出難さは健在で、さらにこの太めの削り穂が、以前にはあまり感じられなかった温かみ・ふくよかさといった趣を竿にもたらした上、現代の釣りの状況にも合致して新たな評価を得ることとなったのである。


私の所有竿は、前期の傑作であるとともに京楽の名を世に広く知らしめた「志野 16.2尺 節巻 綿糸握り」。


製作されたのは1979年、無論、この竿師の優れた点をすべて具えており、至高(幸)の釣趣を堪能させてくれる一本だ。

十六尺寸伸びという長尺でありながら持ち重りを全く感じさせない、絶妙のバランスも兼備している。

が、折あらば、後期の、優しくたおやかな姿の峰からも、釣りの風景を眺めてみたい。

それで初めて、京楽を真に理解できるように思うから。

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