竹竿の価格

竹竿(紀州へら竿)は高い――という声をよく聞く。

確かに、これを入手するのに必要な金銭はかなりの額となることが多い。

しかしながら、コストパフォーマンス(費用対効果)、すなわち、投下した費用に対して得られる効果、今の場合は竿を手にした満足度、釣り味などを考えれば、これは相当優れていると評価できると思う。


また、竹竿を使える期間を見ても、カーボンロッドなどに比べてはるかに長いと言ってよいだろう。

実際、私の手元には、製作されてから既に50年以上経過している竿が何本もあり、いずれもまったく問題なく使用可能な状態だが、カーボンロッドなどでこのようなものはごくまれに違いない。

工業製品たるカーボンロッドにはモデルチェンジ、製品の切り替えがあり、製造が中止された旧製品に故障が生じた場合は、修理や一部の交換はまず無理で、そのままご昇天となるのが普通だ。

それに対して、竹竿は竿師の手により一本々々作られるため、穂先が折れた、魚に持っていかれた、玉口が割れた――といった事故があっても、ほとんどの場合、代替の部材を補って元通り使用可能な状態へ復元できる。

無論、費用は掛かるけれども、新竿を購入するのに比べればずっと安く収まるし、何より、愛着のある品を使い続けられる喜びは大きいものだ。


さて、紀州竹竿の価格は、同一銘同一脇銘のものを同じ店で購入するとすれば、長さに比例する(注:ただしこれは新竿についての話。中古の竿に関しては、別の話題と絡めて改めてご紹介する予定)。

例えば、十六尺の竿は、八尺のものの2倍の値となるのである。

カーボンロッドなどでも、長さが嵩めば使用される素材の量は多くなるし、加工の手間暇も増えるから、当然価格も上がるが、このような比例関係とはならない。

この価格体系から、紀州へら竿の世界では、「尺単価」という言葉があり、これがある銘や脇銘に対する大きな評価基準となっている。


尺単価の幅はかなり広く、特別作を除いた一般流通品に限り、さらに私が実際に目にしたものだけを挙げても、下は5千円ほどから、上は5万円を超える櫓聲などまでにわたっている。

カーボンロッドではこれほどの価格差は生じない一方、茶器などの骨董に目を向ければ、さらに巨大な相違のあることも確かだ。


竹竿に話を戻して、では、それだけの尺単価の違いに見合う価値の差はあるのか――という疑問が自然と生じるが、これに関しては、もう個々人の価値観によると言うほかないであろう。

懐具合と趣味に応じて、納得のいく竿を選べばよいと思う。

ただ、どんな竿でも、大切に持って使っているうちに次第に愛着は増していくと言える。

それから、単に「高いから」という理由だけで、金にものを言わせて掻き集めたものの、その品の金銭面以外での良さを理解していないような御仁が白い目で見られることも、また間違いない。

これはどの世界においても同じようだ。

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