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12月, 2020の投稿を表示しています

一心竹 特作山城 13.2尺 口巻 籐・乾漆握り

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私が紀州へら竿に魅せられてこの世界に次第に深く足を取られることとなったそもそものきっかけは、「 源一人 煌 10.1尺 口巻 籐・漆握り 」を手にしたことだが、それからさほど間を空けずに続いて入手した「一心竹 特作山城 13.2尺 口巻 籐・乾漆握り」の影響も小さくない。 元々、源一人を入手したのは、「竹竿を一本持ちたい」という程度の気持ちからで、それが叶い実際に使ってみて竹竿の素晴らしさに驚いたことは確かだけれど、そこから直ちにまた食指が動いたわけではなかった。 では何故一心竹を?と言われれば、理由はごく単純、源一人購入の際にその価格一割分の商品券が付けられ、折角なのでこれを利用しようと思ったのだ。 源一人を選択するに先立ち、紀州へら竿にはどのようなものがあるのか一通りは調べていたものの、当然ながらまだほんの上辺を眺めただけ、各竿師の特徴や評価などわかるはずもなく、また再購入の動機も上のようなものだったので、いま一本の選定は主に価格を基準にした。 加えて、源一人が十尺と短いので、少し長めのものがよかろうと考えた。 もっとも、あまり長いと果して使いこなせるだろうかとの懸念があったため十三尺程度のものに的を絞り、その結果見つけたのが一心竹だったのである。 これを初めて振った時、二つの印象を覚えたように記憶している。 まず、流石にカーボンに比べると重い、しかし徒に振り回そうとしなければ決して使い難くはなさそうだ――ということ。 もう一つは、竿を寝かせた時のだらりとした姿に対する違和感である。 第一の印象は、すぐに実際その通りであることがわかった。 片や違和感については暫く継続したものの、ふと気づくといつの間にか全く気にならなくなっており、それどころか偶にカーボンロッドを出した時など、何となくピンと伸び過ぎているように思えてこちらの方に不自然さを感じるようになった。 この感はカーボンロッドとの併用期間を通じて一層明確になっていき、最終的にカーボンロッドをすべて手放すこととなったのである。 もっとも、これらはいずれも中尺の竹竿一般の性質で、別段一心竹に限ったものではないだろう。 では一心竹固有の特徴らしいものは何もなかったかと言えば、確かに感じはしたのである。 しかしそれは、源一人で体験して一驚を喫した、魚が掛かった時に竿が自ら魚を上げ寄せてくれる溌溂さがなく、恰も...

芸舟 川波 11.5尺 鶯節巻 綿糸握り

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紀州へら竿には、銘に「舟」字を含む例が多い。 孤舟を初めとして、影舟・恵舟・凡舟・紀舟・美舟子……など。 今回ご紹介する芸舟もまた、その一人である。 芸舟こと森田吉彦氏は、昭和8(1933)年に生まれ、昭和25(1950)年、実兄である忘我に弟子入りして竿作りの道を歩み始めた(因みに、先にご紹介した「 京楽 」は実弟)。 その芸舟の特徴としてまず挙げるべきは、装飾の美しさであろう。 幼い頃から絵心に長けていたという芸舟は、その資質を竿作りに活かし、蒔絵を施した華麗優美な竿を実現して世人を驚かせた。 しかし本人は、「装飾はあくまで付加価値、」とし、道具としてのへら竿、その実用性を常に念頭に置いているという。 私が所有する二本の芸舟の内、次の「川波 11.5尺 鶯節巻 綿糸握り」は、その理念の体現といった感がある。 ほっそりとしたフォルム、中軟式胴調子から醸し出されるのは、たおやかで優しい釣趣。 基本的には八寸程度までを相手に本領を発揮する竿だが、仮に尺を上回る魚が掛かっても懸念する必要はない。 無論、それを抜き上げるようなことはできないものの、落ち着いた気持ちで対処すれば、不思議と魚の方で浮いてくる。 しかも、極めて繊細な穂先を持ちながら、反りや癖もほとんど生じることはない。 美人を形容する「柳腰」という語、しかも粘りを兼ね備えた柳腰がふと連想される一竿である。 そんな趣味性と実用性に加え、この竿にも地味ながら芸舟らしい美意識が籠められている。 まず、敢えて節の部分だけに巻きを施した、文字通りの節巻。 そしてそこには、黒ではなく緑、それも、俗に鶯と呼ばれるくすんだ色調の漆を用いているのだ。 その色合い十分に画像に現わせなかったのは誠に遺憾だが、その点はどうか想像力で補って頂きたい。

げてさく 年輪 よしきり 13.2尺 蒔絵口巻 銘木握り

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私が「げてさく」に出会ったのは、竹竿を使い始めて間もない、確か三、四ヶ月経った頃だったと記憶している。 初めは竿自体より、その奇妙な銘に強い印象を受けた。 これは私に限らず、多くの人がそうであろう。 「げてさく」なる銘の正確な謂れは浅学のため知らないけれども、恐らく「ゲテモノ(下手物)」に因んでいるのではなかろうか。 これが真だとして、そのまま漢字を当てれば「下手作」ということになる。 しかし無論、このような銘を採ったのは、作者の謙遜・自己卑下の気持ちの現われであり、そこにさらに洒落ッ気・茶目ッ気が重なり、「まあとにかく、竿を手に取り、使って見てくれ、」との思いが籠められているいるように感じる。 そんな、作者の恬淡な性格、そして意気込みと自信は、実際の銘の表記として、希(まれ)に濁点を打ち「希"てさく」としたところにも看取できるように思う。 さて、私が出会い、手にした一本は、「年輪 よしきり 13.2尺 蒔絵口巻 銘木握り」である。 竹の自然な風合いをそのまま活かすべく口巻を採りながら、そこに蒔絵を、煩くならないよう控えめにあしらっている。 そして、恐らく神代杉であろう、銘木の握りにも、その上部に玉口と呼応する形に蒔絵の点景。 その姿は、飄々としていながら、気品と色気をも兼ね備えた美女を想起させるものだ。 釣り味も外観同様、粋でしなやか、そのたおやかさに酔うかの如く、魚が上がってくる。 ただ、その釣趣を実現すべく穂持ちの火入れを抑えたためか、魚とやり取りするごとに少々曲がりの出る感を否めない。 その時は竿を半回転してやれば大きな反りに進むことはないので、大した欠点ではないのだが、気になるといえば気になるところである。 でも、フト、「そんな些細なこと、気にせんでもええやない(か)、」という作者の思いが、たおやめの声となって心に響き、「確かにその通り、」と妙に得心できるのだ。

京楽 志野 16.2尺 節巻 綿糸握り

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竹竿は反りが出て当たり前――紀州へら竿の基本構成が確立された後も、多くの釣り人はこう考えていた。 いや、あまりにも当然なこととして、意識すらしなかったかもしれない。 その、「反る」ということが人々の頭に顕在化し、竹竿の欠点として大きくクローズアップされるようになったのは、新素材、すなわちグラスファイバー、カーボンファイバーが開発され、釣り竿に採用されてからであろう。 人の気持ちというのは不思議なもので、こうなるともう、竿に反りが生じた場合、「あの竿師の作だから、たとえ反っても釣りには問題ない、」といった納得の仕方はできなくなり、「癖の出ない竿、出にくい竿はないものか、」という観点で探し求めるようになる。 そんな時に注目された竿師の一人が、京楽だ。 京楽はそれまで、ほとんど人目を引くことはなかった。 その理由として、京楽の手になる竿は、一見弱々しく、継いで振った感触もまた、見た目そのままという点が大きかったように思う。 ところが、「その柳のようなしなやかさは、反りの出難さに繋がるのではないか、」と考えた人がいたかいないかはまず措くとして、ともかく手に取られるようになり、いざ実際に使われると、当初の要求が満たされただけではなく、それ以上に、釣り味の秀逸さが認識され、一気にその評価が高まり、評判が広まったのである。 京楽の竿は、よく、「櫓聲を髣髴させる、」と称される。 見ても、振ってもなよなよと弱々しいが、魚が掛かると表情が一変し、力を入れて引かなくとも、竿がごく自然に魚を上げ寄せてくれるのだ。 これすなわち、竹がその奥底に秘めた力を見極める眼力と、それを生地組みにより遺憾なく活かし現す感性とに基づくに違いない。 そんな京楽は、「いずれ櫓聲・至峰と肩を並べる俊峰となるだろう、」と、紀州へら竿界の竿師たちに遍く思わしめた。 しかし、冷酷な運命は、そんな京楽に災いの鞭を降り下す。 1983年、職人としてまさに脂の乗った、まさに不惑の年台に、脳梗塞に罹ってその後遺症により左半身の自由が利かなくなってしまったのである。 「その身体で、数多の工程を必要とする竿作りは不可能、京楽はもう終わりだ、」と誰もが考えた。 が、京楽の竿作りに対する情熱は、この過酷な枷にも消し去られることなく、失われた身体の機能を補助する道具を自ら考案・作製し、それらを利用することにより、再び作...